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第1回現代文学会芥川賞受賞作――横山悠太『吾輩ハ猫ニナル』

第151回芥川賞候補作は次の通りであった。併記されている数字は採点結果である。(15点満点中 採点方式は◎3点、◯2点、△1点、×0点)

 

戌井昭人「どろにやいと」・・・5点

小林エリカ「マダム・キュリーと朝食を」・・・0点

柴崎友香「春の庭」・・・6点

羽田圭介「メタモルフォシス」・・・4点

横山悠太「吾輩ハ猫ニナル」・・・14点

 

〈選評〉

小林エリカ「マダム・キュリーと朝食を」

残念ながら今回は(少なくとも芥川賞候補作品として)小説の域に達していないということになった。不自然な日本語表現や意図が全く不明なエピグラフの数々、そもそも主人公が猫である必然性が全く感じられない低レベルな描写の数々など、技術的に水準に達していないという評価が大半を占めた。さらには小説のプロットについてもかなり厳しい意見が寄せられた。この小説は主人公と思われる猫の母と祖母の三代に渡る放射線との因縁を描いているわけだが、こういった血族の因縁のプロットはガルシア・マルケスの『百年の孤独』やジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの凄まじく短い人生』と共通のものだ。とりわけディアスはトルヒーヨ政権下のドミニカの呪い(「フク」)がいかにして主人公のオスカーに影響していくかを11年かけて調査し、洗練された表現で描いたのに対して、この小説は立ち向かうの問題に対する技術・調査があまりにも乏しかった(わずか5冊の書籍と1つのウェブページを参考にしたことを公表する意図も理解し難い)。さらには、放射線の問題に苦しむ人々に対してかえって不誠実でしかないというかなり厳しい意見も出された。しかし、問題意識自体は震災に立ち向かおうというものなので、次回を期待するという意味をこめて全員一致で無得点とした。

 

羽田圭介「メタモルフォシス」

冒頭の描写は非常に魅力的であった。主人公がマゾヒスト的な視線によって社会関係を解体していくのもユーモラスであった。しかし、肝心のグロテスクになるはずの描写が冗長な主人公の独白によって迫力を欠いていたり、そもそも他の箇所のユーモアが全て滑っている(作者が「ここが面白いんだろうな」と書いているのが解ってしまう)ので得点はそれほどつかなかった。

 

戌井昭人「どろにやいと」

文句なしの佳作。打者で言うなら2割6分7本塁打ほどの実力。チームに一人は必要な堅実なタイプ。灸を売り歩くという魅力的なガジェットや、折口信夫のマレビトを彷彿とさせる筋書といい非常に手堅い作品であった。しかし、説明的過ぎて(露骨な隠喩表現、「わかるでしょ?」と言わんばかりの展開や文章)読者をナメてる箇所が多々あり、それが作品自体の傷となっていたと思われる。

 

柴崎友香「春の庭」

横山悠太がいなければ文句なく受賞作。小説の技術は群を抜いている。植物の名前を小出しすることで季節の移行を省略的に記述しつつも読者に伝えるなど、その技巧は定評通りであった。また、読者に平素の「家」に対する見方を変えてくれるといった、読者の世界観を少し変えるという文学の素朴な営みを思い起こさせてくれる作品であった。ただ、「いつもの柴崎じゃね?」という意見もあった(人称のトリックなど)。

 

横山悠太「吾輩ハ猫ニナル」

「誰もが認める神経過敏の一発屋に過ぎないだろう作者が放つ渾身の一作であるが、日本文学はこの作品を迎えたことに惜しみなき賞賛と祝福を与えるべきである」と思わずサークル員が蓮實重彦化するほど絶群の作であった。日本語で書かれた現代文学の突破口は今のところ、唯一ここにしか存在しない。

この小説は幾重もの批評性を備えている。一つずつ解き明かしていこう。

まず小説の設定に注目すべきである。この小説は日本語を学ぶ中国人のためにカタカナ表現や中国人に解りやすい漢字を使ったものであった。ここで意識されているのは「ルビ」の特殊性である。日本語の特殊性の一つとしてルビがよく取り上げられるが、ルビが一体どのような機能を有しているかということをこの中国人のために書かれた小説が日本語話者に教えてくれるのである。

次に、アイデンティティと文体の関係である。物語の進展上、主人公には様々なアイデンティティの問題が突きつけられる。そして、中国語がふんだんに使われているにも関わらず日本人が無理なく読めてしまうという作品の国籍不明な姿がそこに重なる。まさに文体の奇跡である。

言い尽くせないが、これ以上続けると一冊の評論本ができてしまうので後は短く触れたい。まず、夏目漱石の引用について。文章中にはたびたび夏目漱石が引用されるが、文脈上・修辞上・構造上の全てにおいて引用が文章と関係を持っているのはもはや異常と言って良い。他にも、純文学にサブカルチャー的要素を全く不自然なく持ち込んだことや、日中間の関係に全く別のベクトルから迫った政治的試みなどここに書ききれないほどの賞賛があった。

しかし、惜しむらくはこれが現代日本文学の突破口であるが故に、彼自身が必然的に自らに立ち向かわねばならないということである。ただ、「現代文学」を名に冠するサークルとしては横山悠太をこれからも見守っていきたい。

改めて惜しみなき賞賛を捧げる。

 

〈選考を終えて〉

第151回芥川賞の受賞作は大方の予想通り柴崎友香ではあったものの、やはりサークルとしては横山悠太以外は受賞はありえないということが最後まで強調された。微力ながらここで横山悠太を早稲田大学現代文学会公認作家として応援していきたい。

 

(文責 幹事長 佐藤)

 

 

5/26読書会「頭の中の弾丸」(トバイアス・ウルフ)活動報告

今回の読書会について

担当は佐藤。扱った作品は「頭の中の弾丸」(原題 : ‘Bullet in the Brain’)。短編集OUR STORY BEGINS( Bloomsbury: London, 2009)所収。精神的に問題がある文芸批評家が銀行強盗に殺されるまでを不条理コメディのタッチで描いているが、殺される時に見る走馬灯の描写が見事。そこでは‘He did not remember‘が文頭でしつこく繰り返され、詩のようになっていて、韻文的なセンスもある逸品。原書で6頁、担当が訳し下ろしたものは5581字。読書会時間は2時間。以下、担当の報告。

担当からの報告

全体的にどこか性的に感じられるという意見があったが、結果から見てみると正しい意見だったかもしれない。物語中盤で天井を描写するでは過度な視覚の描写がなされ、身体性が描写から消えるとともに唐突な銃殺で始まる脳内の弾丸の描写で身体性が過剰に回復される。そして、物語のクライマックスが明らかに主人公が死んだ後、死ぬ間際の瞬間に置かれるという死を延期する形式。これらがフロイト精神分析の理論と近いと言うのは過ちではないだろう。一次大戦の後に兵士たちが繰り返すトラウマの苦しみは快楽の反復を理論の基礎としていたフロイト精神分析理論の軌道修正を迫り、彼は死の欲動という着想を得る。今回の読書会では新入生が多いことから一般的に言われるフロイト死の欲動の説明とともに、ベルサーニマゾヒズム死の欲動の関係性を論じているのが紹介された。ベルサーニの議論を採用するならば形式的に言って、この小説はマゾヒスティックであり、性的なものを感じるのはそれほど不思議ではない。

また、主人公が文芸批評家になる契機となった言語にエロスを感じる原体験が弾丸を頭の中に入れてから始まるのはconcept「概念」の語源が「妊娠」という意味を持っている(つまり着想を得るというのは自分に何かを孕むこととニュアンスが近いということ)のと近いのでは指摘された。これは特に議論として取り上げられなかったが、本文中にはギリシャ・ラテン古典に関する短い言及もあるので拡張できたかもしれない。

物語自体はとてもシンプルで解釈の議論がなされなかったがかえって小説における描写の問題や形式をうまく描くこととはいかなることなど意見が交わされたので有意義であった。次回からも小説の書き手に重要であると思われる作品を取り上げていきたい。(佐藤)

次回の読書会の予定

7/17(木)超読書会開催。

7/19(土)清水担当。取り上げる作品は三島由紀夫の短編の何か。詳しい開催時間・場所は後ほど発表。

 

2014年度読書会・勉強会まとめ

2014年度読書会まとめ

  • 4 月 6 日  (日) 円城塔「捧ぐ緑」(佐藤)
  • 4 月 25 日(金) 川上弘美「蛇を踏む」(清水)
  • 5 月 16 日(金) ブライアン・エブンソン「マダー・タング」(清水)
  • 5 月 26 日(月) トバイアス・ウルフ「頭の中の弾丸(私訳)」(佐藤) 

2014年度勉強会まとめ

  • 4 月 9 日(水)「シュルレアリスムを知っていますか?」(佐藤)
  • 4 月 11 日(金) 「ファリック・ガールの動力学」(片岡) 
  • 4 月 13 日(日) 「声優文化史への招待」(中田)
  • 4 月 16 日(水) 「精神分析すること?」(仁田)
  • 4 月 18 日(金) 「転回せよ、360 度!――日常生活からの精神分析入門」(片岡)
  • 4 月 20 日(日) 「樋口一葉作『十三夜』を読む」(平良)
  • 4 月 23 日(水) 「ジャン=リュック・ナンシーに触れる」(松山)
  • 5 月 11 日(日) 「開高健『日本三文オペラ』と諷刺文学の伝統」(山田)
  • 6 月 7 日(土)   「『エセー』第 3 巻第 10 章における mesnager の使用について」                                 (佐藤)
  • 7月12日(土)   「キマイラのゆくえ『原点回帰ウォーカーズ』・『勇者と探偵のゲーム』の否定性」(山田)
  • 8月17日(日)「大正期谷崎潤一郎論――映画と視覚の諸問題――」(清水)
  • 8月19日(火)「ライティングI 長編のライティング・スタイル紹介」(佐藤)
  • 8月23日(土)「ライティングII 短編のライティング・スタイル紹介」(佐藤)
  • 8月25日(月)「リーディングI 隠喩について」(佐藤)
  • 8月30日(土)「リーディングII  文体について」(佐藤)(夏期連続勉強会「ゲンブンライティング・スクール」)

5/16読書会「マダー・タング」(ブライアン・エヴンソン)活動報告

今回の読書会について

担当は清水。扱った作品は「マダー・タング」(原題 : ‘Mudder Tongue’)。短編集『遁走状態』(原題 : ‘Fugue State’)、新潮クレスト・ブックス、2014所収。思った言葉と違う言葉を喋ってしまう症状に見舞われたシングルファザーの教授が自殺しようとするまでを冷静な筆致で描いた小品。単行本で18頁。読書会時間は1時間30分。以下、担当の報告。

担当からの報告

自らの発話をコントロールできなくなった父親と娘のハートフルな物語は予想以上に言語にまつわる根源的な問題を抱えていた。主人公の意味のわからない発言の意味をなんとなく汲み取れてしまう周囲の人間が描かれるが、それは無意識に文脈を理解してしまう人間の姿を描いているのではないか。言葉、言語というものについて今一度考えよと命じられている気がする。加えて、ノンセンスに接続しうる様々な細部と信頼のおけぬ話者。「言葉に呑まれ」てしまっている我々に鋭い批判を叩きつけるような、そんなエヴンソンの思想が見え隠れする秀作であると断言できよう。(清水)

 

次回の読書会

担当:佐藤

作品:Tobias Wolff, ‘Bullet in the Brain’, OUR STORY BEGINS, Bloomsbury: London, 2009 原書で7頁ほどの小品。不条理コメディを抒情的に終わらせる逸品。

詳細:5/26(月)開催。場所E439。時間は18:30から。開催時間は1時間の予定。邦訳は配布予定。サークル外で参加希望の人は邦訳を事前に渡すのでお問い合わせから連絡を。

第十八回文学フリマ結果報告

はい、というわけでみなさんこんばんは、幹事長の佐藤です。

第十八回文学フリマの結果報告を行いたいと思います。

今回はLibreri19号の残部7冊、Libreri20号の再版9冊、Libreri21号の40冊、

全て完売いたしました!

ありがとうございました。毎回毎回売れるかいなか不安でしょうがないなかでやりくりしているので大変ありがたいです。クオリティは今までの中で一番高いと自負していますのでお買い上げくださったみなさまはぜひお楽しみください。また、「Libreri21号を買いそびれた」という声がちらほらあるので、装丁や内容をさらにバージョンアップさせた第二版を出すことになりました。本当に出せるかどうかは解りませんが、一人でも多くの方に読んでいただきたいので努力を尽くします。

 

さて、次回第十九回文学フリマにもすでに参加することが決定していますが、次回のテーマは打ち上げ兼編集会議にて仮決定しました。まさかのあの文学者とあの生物学者のコラボレーションかもしれません。今後も定期的にLibreri22号について報告していくのでお見逃しなく!

 

 

Libreri21号内容紹介その4  冊子値段決定!

幹事長の佐藤です。Libreriの販売価格が決定したので報告します!

  • 19号(90頁)・・・500円
  • 20号(119頁)・・・700円
  • 21号(125頁)・・・800円
  • 20号&21号セット・・・1400円
  • 19号&20号&21号セット・・・1700円

今回は19号と20号も販売いたしますが、セットで買うととてもお得です。なんと、三号分を一気に買うと300円もお得。もう一冊他のブースで同人誌が買えてしまうのです!

また、この頁の一番下に19・20号に入っている論考・小説のタイトルを書いておくので気になった方はお手に取ってください。重版の予定はないので今回を買い逃すともう二度と手に入らないかもしれません。これを機に是非お買い求めください!

 

また、21号の細かい内容についてはすでにブログに書いてあるので下記を参照にしてください!

表紙と序文

メイン企画である浜野喬士先生へのインタビューについて

目次と投稿されたものの簡単な説明

 

以上です。

それではみなさまよろしくお願いします!

 

 

Libreri19号タイトル一覧
  • 「強く孤独であること――井坂洋子論」 佐藤正尚
  • 「富美子を取り巻く摩擦熱」(谷崎潤一郎論) 清水智史
  • サルトル哲学における「行動」について」 匂坂亮
  • 「批判としての形而上学徳論――ラサンを読む」 エクセシオール東京
  • 「「完全な遊戯」のどこが「完全な遊戯」なのか?―石原慎太郎について、「完全な遊戯」より―」 喜田智尊
  • 田中ロミオ人類は衰退しました』に於ける「食」」 山田宗史

 

Libreri20号タイトル一覧
  • 「乖離するゼロ年代と、現実的なもの――『あずまんが漂流教室。』試論――」                                 片岡一竹
  • 「拡張する共同体――『明かしえぬ共同体』におけるメディアの問題」 松山航平
  • 「もうどうしようもないものへの愛に捧ぐ二編」(三島由紀夫嘉村礒多についてのエッセイ) 喜田智尊
  • 「エッセイ『キノの旅』×『オン・ザ・ロード』考――それでも旅にふけりたい人のための……」 中田雅人
  • 「白い骨」(小説) 貝塚暁仁
  • 「備忘録」(小説) 四月一日金曜日
  • 「陰翳の麻薬――阿部和重谷崎潤一郎」 清水智史
  • 「愛と無感覚――ミシェル・ウェルベックについて」 佐藤正尚
  • 「君がもういなくなってしまったことについて――追悼文 櫻井誠弥へ」佐藤正尚

 

Libreri21号内容紹介その3  目次公開

こんばんは、幹事長の佐藤です。

今までは力を入れているコンテンツについての紹介を中心に行ってきましたが、いよいよLibreri21号の目次を発表したいと思います。

 

Libreri21号「特集――犬と猫」目次

p.3 序文 佐藤正尚

p.16 「ジャック・デリダの動物論についての覚書」 松本航平

p.27 書評「孤島に佇む――ル・クレジオ『隔離の島』」 清水智史

p.31 「エッジを歩くこと――近代主義者でありながらも 前半」浜野喬士インタビュー

p.52 「今」 大向江宥磨

p.59 書評「表面張力――古井由吉『鐘渡り』」 中澤実

p.63 「剰余動物――精神分析における動物観とその紹介」 片岡一竹

p.77 「エッジを歩くこと――近代主義者でありながらも 後半」

p.92 「「パラドクサ」が遊ぶ――ポルノマンガにおける異種混交の提起するもの」

                                  山田宗史

p.112 「わたしのちちはとてもちいさい」 加茂野千鳥

p.120 書評「言葉の容易さについて――」 榎元唯

p.125 サークル紹介/編集後記

 

というわけで、総頁数125頁となっております。

序文は私が執筆しました。内容は「特集――犬と猫」を組むまでの過程、僕とある一匹の猫をめぐる思い出と、セバーとメイヤスーに触れる簡単なエッセイです。

ジャック・デリダの動物論についての覚書」は、デリダの動物論として重要なテクストであるL'animal que donc je suisの恥に関する議論を踏まえつつ、人間/非人間の脱構築を行うデリダの戦略を追っていくものです。デリダの動物論入門にぜひ。

「エッジを歩くこと――近代主義者でありながらも」はすでに紹介しているのでそこをお読みください。ここをクリック! 

「今」は早稲田大学戸山キャンパスのすぐ横にある戸山公園を歩きながら湘南海岸沿いの思い出を重ねて行くエッセイ風の小説となっています。猫も出てくるのでぜひ一読を。

「剰余動物――精神分析における動物観とその紹介」は、ラカンの動物に関する見解を紹介しながら、ラカン鏡像段階といった理論を非常にわかりやすく解説した論考となっております。執筆者は戸山フロイト研究会の幹事長もやっているので力作間違いなしです。

「「パラドクサ」が遊ぶ――ポルノマンガにおける異種混交の提起するもの」は、近年のマンガ論の基礎となっている「同一化の技法」の「同一化」に注目し、それが不可能な場合のマンガ体験をいかにして論じるのかという試みのなかでポルノマンガに触れているものです。マンガ論などふだん触れている方はぜひ。

「わたしのちちはとてもちいさい」は二つの物語が平行して語られる実験小説風の小説です。パンチが強いのがお好きな方はぜひ。

 

というわけで、濃密なコンテンツが結集したLibreri21号を5月5日の文学フリマ東京流通センター(ブース番号は2階カ-18)でぜひお手に取ってご覧ください!