早稲田大学現代文学会 公式サイト

「更新情報」よりまとまった情報をご覧いただけます。

早稲田大学現代文学会とは?

早稲田大学現代文学会(通称:げんぶん)の歴史は古く、日中戦争の頃から存在するという記録もあります。 主な活動は、読書会・勉強会、講演会の企画、機関誌の発行・販売の三つです。 しかし実際には、これだけではないのです。 部室でお喋りしてみたり、外でお酒を呑んだり、部室のパソコンをいじったり…… あなたのこうした活動全てが、げんぶんの活動にもなるのです。 つまり、あなたによって現文は変わっていくのです。
 
げんぶんは特定の色を持ってはいません。 会員一人一人が強烈な個性を持ち、その方向性は様々です。 文学一般・批評理論・哲学・思想・映画・音楽・演劇など、これらの他ジャンルが絡み合うところに関係が築かれていきます。 全く違うことをやっている人から多大な刺激を受けたり、方向が似た人と一緒に読書会を開いてみたり。 何よりも会員のみなさんが今一番やりたいこと、勉強したいことを支える場がここにはあります。
留学生の方も、大歓迎です。2013年度にはエストニアから来た留学生もいらっしゃいました。
 
そんなげんぶんですが、主な活動は三つあります。それぞれ説明します。
まず一つ目が、勉強会です。勉強会とは、日々の学問的関心から来る探求についての相談や結果報告です。大学に入ると様々な学問分野を勉強するようになります。その時、一人ではどうしても充分に解決できない場合があります。例えば自分のレポートや演習の発表のアイディアがうまく浮かばないときや、浮かんでいるけれど客観的に見てほしいときなど。そんなときに自分で開催して、会員がそれを助けるのが勉強会です。
 
次に、読書会です。げんぶんの読書会は他のサークルと少なからず違ったものとなっています。まず、普通の文芸サークルで は司会や開催者が意見を言うことが中心となっていますが、げんぶんでは参加者全員が参加する形式となっています。もちろん、全員参加といってもきちんとした意見を言うのではなくて、何でも良いから感想を言ってみよう、というものでハードルはとても低いものです。次に、普通の文芸サー クルでは論点を開催者が絞ってしまうのですが、この読書会では開催時にだんだんと論点が決まっ ていく形式をとっています。みんなの意見を司会が総合して議論の方向を定めていくのです。最後の三つ目ですが、それは結論が複数あるというものです。その理由は、この読書会の最大の目的は 一冊の本についてどれほどの読み方がありえるか、というのをきちんと提示していくことが大事だという方針があるからです。ただ「人それぞれの読み方がある」と言うのではないのがポイントです。議論の結果、参加者全員が認める複数の読み方を提出する、ということを重視しています。
 
勉強会、読書会という二つの活動の紹介を終えました。
最後に、三つ目の活動である講演会について説明します。
講演会は、会員が学問的な関心を持って講演会を企画して、その意図に沿った人物にお越し頂いて講演をしてもらうということです。
 
以上で主な活動についての説明を終わります。ちなみに、これらの活動の総合的な位置に機関誌「Mare」があります。年二回、文学フリマにて頒布しています。
 

ところで、サークルの名前に付けるには、「現代」という言葉はあまりにもいい加減であるように思えます。発足した昭和10年ごろから今まではとりあえず「現代」という範疇に収めてもいいでしょうが、今日の「現代」は絶対にいつの日か「現代」では決してありえなくなるのですから。例えば今から2000年が経ったとして、残された我々にとっての「現代」の何かしらのアーカイヴがあったとして、そこにまったく偶然にも「早稲田大学現代文学会」の名があったとして、それが解読できた我々とそんなに変わらない人間がいたとしたら、彼/彼女はきっとその名前に寒々しい気持ちがするに違いありません。恐ろしく古色蒼然としたものに大辞泉の言うところの「現在の時代。今の世。当世。」という名前がついているのですから。この名前は長く保存されることにはまったく向いていないと言わざるを得ないでしょう。

「現代」という言葉のいい加減さは、しかし、そのまま身動きの取りやすさにつながりもします。「現代」という言葉はそれを発する主体と結びつかなければ何も意味を成しません。ですから、大学サークルという性質上、世代交代が不可避であるげんぶんは、その都度その都度の集う人々の「現代」によって自在に変化することを名にし負う共同体であるわけです。それがおそらくある程度は実際に行われたから、ともかく現在のげんぶんがこのように現存するのでしょう。上の「主な活動」だって、この公式サイトが出来てからはほとんど同じですが、それは単なる偶然に過ぎません。ですから、この共同体に対しての私の望みは、それが存在することと言うより、それが生成することです。成長ではなく生成です。成功ではなく生成です。早稲田大学現代文学会は今幸いにも部室を有していますが、永く存在して欲しいのは、極言すれば、人が集まる場、それだけであると思います。

そのとりあえずの今、ここを表すものとして、私はあまりにもそれらしく、自分の携帯電話のメモ帳にあった、どこから引いたのかはっきりしないニーチェの一節を置いておきます。おそらくアガンベンの『開かれ』からの孫引きではないでしょうか。

 

  われわれは真理によって駄目になってしまわないために、芸術を持っているのだ。

 
 

2019年度新歓活動予定【随時更新】

新入生の皆さんへ、まずはご入学おめでとうございます。

以下、当会の新歓ブースについての情報です。

 

場所:10号館205教室2番ブース

日時:

4/1 9:00~17:00

4/2 同上

4/3 同上

4/4 9:00~16:00

 

会員がお待ちしております。

また、4/1〜4および授業日の3限以降から、部室(学生会館E515)に会員が常駐しております。

その他、4/2に開かれる文芸サークル合同ブースにも出展しております。こちらは学生会館E542、13時から16時までです。

当会のことに限らず大学生活全般について、なにか相談や雑談がしたい方は是非お越しください。

言うまでもないことですが、新入生以外の早大生や他大の方も是非お越しください。

 

また、当会は以下の日程で新歓勉強会・読書会を行います。場所は全て部室(学生会館E515)です。日によって開始時刻が異なるのでご注意ください。

 

 

 

4/1 「戦間期建築への眼差し」(担当:山田)17:30〜

 建築史を概説のうえで、20世紀前半に見られた建築の様式についての考察を行います。建築という文化がいかにして政治的な要素を担ってきたのかを知ることで、周りの環境に対して考える切っ掛けとなれば幸いです。

 

 

4/2「(短編小説読書会)」※企画名未定(担当:紺野)17:30〜

 文とその読者の間で何が起こっているのかについて考えようと思います。「難しい」といって読むのを辞めてしまわないための準備です。事前の課題本はなく、その場で数枚の紙を配るので気軽に来てください。来れなかったらあとで資料だけでも渡します。

 最後のピースがはまらない時、思い描いていたパズルの模様は再編を強いられます。予想を書き換えてゆく作業の途中、直前の模様は消えてしまうのでしょうか。

 誤読の多声性についていくらかの人と共に考えてみたいです。

 ご興味ある方は是非。

 

 

4/3「ゲシュタルト心理学勉強会」(担当:藤原)17:30〜

 ゲシュタルト心理学20世紀初頭のドイツで起こったのち、第二次世界大戦の影響を受けて研究の場を失いつつも、現代でいう「認知○○学」といった分野を支える土台のひとつとなっています。その意義は、「プレグナンツの法則」など知覚のはたらきについての具体的な研究成果以前に、たとえば精神とそれ以外とを分けようとする二元論的な方法、あるいは唯物論的な方法のいずれをも否定し、物理世界と精神とを区別しつつもひとつづきの言葉で語る方法そのものにあると私は考えています。

 

 当会ではクルト・コフカ『ゲシュタルト心理学の原理』から、心理学の目標と方法を論じる12章、知覚の法則を論じる45章を取り上げ、その内容をお話ししたいと思っています。キーワードは「統合」「場」です。

 

 

4/4「ゼーバルト読書会」#1(担当:景)17:30〜

 ドイツ人作家ゼーバルトの短編小説を読みます。彼の作品はとにかく写真の挿入の多用が特徴的です。そこには、文字では表象不可能なことが、写真によって可能にしようという目論見があるのかもしれません。では、文字で伝わらないようなことを、ゼーバルトはどのような意図でもって表現しようとしたのでしょうか。彼が終戦間際に生まれたドイツ人であることを考えれば、そこにアクチュアルな問題意識が読み取れるかもしれません。以上の問いから出発して、ゼーバルトから託された物語を、皆さんと共に引き受けたいと思います。もちろん写真やゼーバルトの伝記的事実を全力で無視してテキストのみに向き合うやり方を採用しても良いでしょう。ただ、とりあえず私はひたすら写真に注目します。

 #1では「ドクター・ヘンリー・セルウィン」(『移民たち』所収)を読みます。#2のテキストは#1での様子を見て決めたいと思います。テキストのコピーはこちらで用意します。

 

 

4/16「リーグル勉強会」18:15(6限)〜

 近代に誕生した制度としての美術史は、その発展のなかでいくつかの方法論を生み出し、発展させてきました。今回はアロイス・リーグルをはじめとするウィーンの学者を中心として 「様式論」という方法について解説します。また様式から少し離れて、リーグルの仕事には文化財保護など、われわれの意外と身近な問題にもつながりがあります。それらを知ることで、他の分野で考える切っ掛けにしていただければ幸いです。

 

 

4/19「ゼーバルト読書会」#2(担当:景)18:15(6限)〜

 

 

4/20「ゲシュタルト心理学勉強会」#2(担当:藤原)18:15(6限)〜

 

 

4/22「みんなちがって、みんないい(まちがい)? 文学作品を解釈する方法を考える」(担当:喜田)

 文学作品、例えば小説は、「正確」に読むべきでしょうか、それとも「自由」に読むべきでしょうか。あるいは、詩や歌詞の読み方に「正解」はあるのでしょうか、ないのでしょうか。――このような疑問を抱いた経験がある人は、私だけではないと思います。ここでは、文学研究の知見を用いながら、文学作品を読む――解釈するとはどういうことかを、考えていきたいと思っています。ざっくり言えば、解釈の自由と規範という問題意識から文学理論の紹介と検討を行いたいと思っています。

 とはいえ、例えば高等学校の国語教育で、小説の解説を受けたり、テストを解いたりしてきた人の多くが、「正確」さも「自由」さもほどよい加減が肝心なのであるだとか、少なくともテストでの「不正解」は避けようがある、といったような、自分なりの読解のやり方、理論のようなものを、すでに身に付けていることだろうと思います。けれども、この加減のよしあしというのが難しいところですし、実のところ、突き詰めて考えてみれば、 何が「不正解」かを決定するのは、容易なことではありません。

 ちょっとした演習――小説の本文を校訂してみる――を交えつつ、文学研究という領野でなされてきた、解釈の方法をめぐる様々な議論を知ってもらい、今後(何であれ)文献を読む際に役立つような知識や経験を、参加者各自に持ち帰ってもらうことが、私の目標です。

 

※各会終了後は食事会が行われます。

 

なお、現文は即興性が極めて高いサークルなので、来て頂いた新入生の趣味に合わせて読書会・上映会が突然行われることもあります(!)

 

それでは、新歓ブースおよび部室でお待ちしております。

【Mare vol.5】序文――フラッシュ・クラッシュ

本記事はMare vol.5所収の「序文――フラッシュ・クラッシュ」の全文です。ブログに掲載するにあたって、一部表現を改めた箇所があります。

 

 今回、『Mare』vol.5のテーマは「アンチ・タイムライン」となった。本誌の編集長は中川から麻木に交代したが、本号のテーマは前号の中川による『Mare』vol.4の序文の一部、「タイムラインはフィクションだ」(p.17)に滲む気分を、幾らかひきずっている。そこで、我々は二人の名の下にこの序文を書いている。とはいえ、前号と今号のテーマが全く同じというわけでもない。以下で、我々の問題意識を述べてみる。


 例えば、Twitterにおいて、仕様変更がなされたとき、タイムライン上にその変更の形跡は一切残らない(理屈の上では、そのはずだ)。ある日突然「お気に入り」が消滅し、よく似た機能として「いいね」が追加されるだろう。「お気に入り」が消滅したという事実は、タイムラインのどこにも刻まれない。こんなツイートがあった。

これは車輪の再発明ではない。ここでは、車輪が消えるならば、それがかつて発明されたという事実ごと消えるのだから。


 上と同様にして、次の場合を考える。例えば、ログインしたアカウントの内容の一切が、仕様変更で書き換わっていたとする。投稿も、フォロワーも、タイムラインも、何もかもが見覚えのない何かになる。しかしそれでも、別のアカウントに「なったという事実はどこにも刻印されない。そもそも世界には何の変化も起こらない。変化が起こるためには、このような激変(それだけが現に在るものが変わるという)にもかかわらず、記憶をそのまま連れて行く、という不思議なことが起こる必要がある。[……]ところでしかし、これが、時間の場合に起こっていることなのである。われわれはいわば刻々と「あれがもとの私だ」「こいつがこれからの私になるのだ」と呟いているわけである」(永井均「Ⅲ 時計の針について」(ジョン・エリス・マクタガート『時間の非実在性』永井均 訳・注解と論評、2017年2月、講談社学術文庫)p.259)。永井の記述をこう読み換えたい。さながら、一つの呟きごとに別のアカウントに転生するようにして私というものが在るのだ、と。そして、内容を欠いた記憶が、いわば記憶なるものが成立するという事態こそが、空間の広がり、時間の流れに先立つようにしてあるのだ。 


 なぜ「アンチ・タイムライン」かといえば、我々は、この記憶なるものが成立するという事態そのものの、揺らぎを感受する、そう主張したいからである。ファンのあげる悲鳴のような音が突然途切れ、画面がブラックアウトするモニター。あるクラッシュを想定してみよう。確かに、むしろクラッシュは、身体の機能不全の方をこそ容易に想起させるだろう。しかし、クラッシュを、世界や、時間や、それに先立つはずの、この記憶なるものが成立するという事態の破綻として捉えることも、できるのではないか。/――私は、何らかの終わりを強調したいのではない。むしろ、この壊れこそが、ある根源的な変化という概念、変わらないものがないということの、証しとなるのではないか。/――私は、私の誕生を否定し、私を誕生させた世界を否定し、この世界の開闢を否定する私は、このクラッシュの瞬間こそが、開闢と終末の一致する点なのではないかと、問う。/――私のことなどはどうでもよい。クラッシュを、よいクラッシュを。世界のフラッシュ・クラッシュを。/――それでいいのか?/――私は/――私/――/……。


 このあたりで我々は、無数の私たちになって漂いはじめるのだが、つまるところ、ここまでがクラッシュした我々の限界であり、そして再起動によってただ一つの私が始まるのだ、ということであろう。

 
(麻木暁 + 中川大)

【新刊】Mare vol.5 目次【第27回文学フリマ東京 キ13】

お久しぶりです!

 

早稲田大学現代文学会は第27回文学フリマ東京にてMare第5号「アンチ・タイムライン」を1部500円発行します。

タイトルそしてテーマである「アンチ・タイムライン」という言葉が気になる方は明日、本ブログにて公開する序文をお楽しみに……!

その他の情報についても後日ツイッターやブログにて順次告知していく予定なので、お見逃しなく。

 

書影はこちらになります。

 

 

f:id:genbun_e515:20181115223036p:plain

 

以下目次。

 

 序文――フラッシュ・クラッシュ /麻木暁+中川大

 

ピーター・ティール論――封建主義2.0のススメ /木澤佐登志

 

あのこの出るまで繰り返せずに /綿貫友哉

 

カイエ:ジル・ドゥルーズ「文学と生」(『批評と臨床』所収) /麻木暁

 

春、三年目、ある日。 /元山紘一

 

痛み――インゲボルク・バッハマン「三十歳」について /ケイ

 

 

 

6月の勉強会・読書会予定

現代文学会の読書会・勉強会は、会員の方でなくとも参加可能です。

詳細はTwitter@genbun_e515)のDM、

または genbune515@gmail.com までお問い合わせください。

 

6月5日(火)18:15~

第三回「物語のディスクール」勉強会(第2章より)

 

6月6日(水)18:15~

第四回 安部公房勉強会(Richard F.Charichman『Beyond Nation』第1章第1節)

 

6月12日(火)18:15~

第四回「物語のディスクール」勉強会

 

6月13日(水)18:15~

第五回 安部公房勉強会

 

6月14日(木)18:15~

読書会 フランツ・カフカ「巣穴」

    ハーマン・メルヴィル「書記バートルビー

 

6月19日(火)18:15~

第五回「物語のディスクール」勉強会

 

6月20日(水)18:15~

第六回 安部公房勉強会

 

6月26日(火)18:15~

第六回「物語のディスクール」勉強会

 

6月27日(水)18:15~

第七回 安部公房勉強会

【新刊】Mare vol.4【第26回文学フリマ東京 カ-62】

『Mare vol.4』Nowhere

中川大  NoWhere/NowHere―本誌のテーマに寄せて

迅竜鳴牙 ルドン展雑感

綿貫友哉 チカちゃん、夢の回想録

麻木暁  移動書架

山田裕仁 全体主義芸術における建築の差異―スターリン・ゴシック出現の必然性について

藤原歩  移る

迅竜鳴牙 試み

津川仁志 「無限ハグ」と「無限ハグ・エターナル」の起源は「忍法・夢幻泡影」だった⁉

金久西胡 力こそパワーの論理と倫理―パスカル、『北斗の拳』、やる夫、他

片倉直弥 人間の発酵について

 

第26回文学フリマ東京にて、『Mare vol.4』を頒布(¥500)します!

文学フリマ - 第二十六回文学フリマ東京 開催情報

日時:2018年5月6日(日)11:00~17:00

会場:東京流通センター 第二展示場

ブース:カ-62

お越しの際には是非お立ち寄りください。

4月下旬&5月の勉強会・読書会予定

現代文学会の読書会・勉強会は、会員の方でなくとも参加可能です。

詳細はTwitter@genbun_e515)のDM、

または genbune515@gmail.com までお問い合わせください。

 

4月22日(日)13:00~

安部公房読書会 第一回『砂の女

 

4月24日(火)18:15~

イヴ・K・セジウィック『男同士の絆』検討会

 

4月27日(金)16:30~

『バカカイ―ゴンブローヴィチ短編集』読書会

 

5月8日(火)18:15~

勉強会『物語のディスクール』 第一回

 

5月9日(水)18:15~

安部公房読書会 第二回

 

5月12日(土)13:00~

『バカカイ―ゴンブローヴィチ短編集』

『コスモス』読書会

 

5月15日(火)18:15~

勉強会『物語のディスクール』 第二回

 

5月16日(水)18:15~

安部公房読書会 第三回

 

5月19日(土)13:00 〜

読書会 フェルナンド・バジェホ『崖っぷち』/村田紗耶香『消滅世界』


5月22日(火)18:15~

勉強会『物語のディスクール』 第三回

 

5月23日(水)18:15~

安部公房読書会 第四回

 

5月26日(土)13:00~

読書会(内容未定)


5月27日(日)13:00 〜

新歓勉強会「再帰的近代としての新感覚派