Libreri22号「I WOULD PREFER NOT TO」について 報告その1
幹事長の佐藤です。今回は文学フリマ当日まで少しずつ情報を公開していきたいと思います。
さっそくですが、体裁が変わりました。大きさは今までA5判サイズでしたが、今回はB5判サイズです。また、いわゆるくるみ製本ではなく、LIFEやNEW YORK TIMESといった雑誌のような形になります。
また、すでに掲載されることとなった作品・論考のタイトルだけここに公開しておこうと思います。どれが論考でどれがエッセイ・小説・詩かぜひ予想してみてください!
・KILL, DEATH, ASSIST
・FOOTPRINTS
・NO FUTURE——WHY IS THERE NO FUTURE RATHER THAN NOTHING?
・ABOUT BARTLEBY
・I AM GUNDAM
・LA MUSIQUE SAVANTE MANQUE À NOTRE DÉSIR
それでは報告その2をお楽しみに!
続報!第3回シンポジウム「ものみなウタではじまる?」開催のお知らせ(後期新歓活動)
こんにちは。
この度、以前告知させていただいたシンポジウム「ものみなウタではじまる?」の詳細な日程が決定しましたのでお知らせいたします。
本シンポジウムは、詳細は以前の記事を読んでいただければと思いますが、簡単に言うと何名かの現代文学会員が「ウタ」にちなんだ発表を行うというものです。
各自自らの専門というよりは「好きな」分野での発表となると思いますので、お気軽にご参加いただけると思います。
当日は以下のように進行いたします。
10月18日(土) 会場:学生会館W503
15:00〜15:40 喜田(M1)「たくまざる誘い——異種混淆性、石原慎太郎、ウタ」
15:40〜16:20 佐藤(B3)「誰も詩を読まないーー井坂洋子について」
16:20〜16:30 休憩
16:30〜17:10 片岡(B2)「正しく=よく聴かなければならないーー日本フォークのコンサート」
17:10〜17:50 山田(M1)「遊ぶ言葉ーーMCバトルという文化」
17:50〜18:10 休憩
18:10〜 質疑応答
以上の通りです。
それでは、各発表の概要について紹介します。
・喜田(M1)「たくまざる誘い——異種混淆性、石原慎太郎、ウタ」
この発表では石原慎太郎とウタの関わりについて、様々な仕方で触れていきます。とりわけ昭和48(1973)年5月に刊行された石原の『新和漢朗詠集』に注目します。
この本の副題「現代に息づく日本人の鼓動[ルビ:ビート]」は示唆的です。というのも、日本の伝統文化なるものの称揚が、それをなし崩すもの——いわば「現代のビート」——と併存ないし混淆しているように見えるからです。この発表では、そうした事態に着目したいと思います。
・佐藤(B3)「誰も詩を読まないーー井坂洋子について」
昨今の日本の文学事情では三角みずき、最果タヒ、暁方ミセイといった詩人なしに恐らく詩の詩の字もない。彼女たちのスタイルの系譜を遡れば伊藤比呂美などいるのだろうが、あえて同時代の井坂洋子を選ぶのはなぜか。それはまず、彼女が伊藤とは違って『現代詩手帳』といった商業誌に投稿せずデビューした特殊な事情ゆえであり、二つ目にスキャンダラスなスタイルをとった伊藤とは全く別の方向にいたためであり、三つ目に彼女は同じテーマを反復し続けることが魅力となっているからである。この発表では詩の読解の仕方の歴史すなわち批評史に簡単に触れながら井坂洋子の換喩の体系を読み解く。最後に余力があればこの国における詩という文学形式について一考を投じる。
・片岡(B2)「正しく=よく聴かなければならないーー日本フォークのコンサート」
日本フォークの歴史を、60年代後半から70年代に行われた大規模コンサートの観点から紹介します。日本において、若者がギター一本で奏でるようなフォーク・ミュージックは、一つ娯楽としてのポピュラー・ミュージックであるだけでなく、あるいはそれ以上に、一つのムーブメント、あるいはアンガージュマンであることが期待されていました。そしてフォークのコンサートも、音楽を聴く場である以上に、一つのイベントとして求められていました。その事についてお話ししたいと思います。
・山田(M1)「遊ぶ言葉ーーMCバトルという文化」
HIPHOPという音楽ジャンルの一要素としてある「MCバトル」(フリースタイル・ラップ)の紹介を行います。そしてその紹介をしながら、「MCバトル」が深く何と繋がっている文化なのか、そしてそれがどのように拡散されているのか、という点に着目し、一つの文化(これはMCバトルに限らず)を見る視点として「遊び」というものを提示してみたいと思います。MCバトルないしフリースタイル・ラップが「ただの言葉遊びに過ぎない」と言われるのは、むしろポジティブな事態なのではないでしょうか?
それでは当日はよろしくお願いします。
第3回シンポジウム「ものみなウタではじまる?」開催のお知らせ(後期新歓活動)
シンポジウム開催のお知らせ
早稲田大学現代文学会恒例のシンポジウムが今年も開催されます。今までをまず振り返ると第1回では「十文字青『ぷりるん。~特殊相対性幸福論序説~』」と題して『ぷりるん。』をめぐるさまざまな発表を行い、第2回では「劇場版魔法少女まどか☆マギカ」と題してアニメについて物語読解からアニメ解釈まで様々な観点が与えられ、そして第3回がこの度行われる運びとなりました。題して「ものみなウタではじまる?」です。また、これは後期新歓活動の一つとして開催されますので早稲田大学現代文学会の様子を知りたい方はぜひおいでください。
シンポジウムの紹介
シンポジウムのタイトルは「ものみなウタではじまる?」となっております。これは花田清輝の戯曲「ものみな歌でおわる」(1963年)にちなんでいます。
花田清輝と言えば「アヴァンギャルド芸術」などの旗印のもと、文学に限らず様々なメディア、ジャンルを越えて、というよりはそれらの複合を思考していた人物ですが、彼が「かぶき」の誕生に関しての考察を戯曲化したものがこれです。
ということで、今回のシンポジウムでは様々なウタ(歌、詩、唱…)、そしてまたそれらに関する事象(ウタを題材にした小説、絵画、映画…)などを取り上げてみたいと思います。 今回シンポジウムでは、現時点で、日本のフォークについて、井坂洋子について、石原慎太郎について、HIPHOPについてなどの発表が行われる予定となっています。
それぞれ自らの本来の専門ではない領域での発表もあり、またそれぞれ異なる分野での発表をこのシンポジウムという場でともに行うことで、思いがけない出会いが発生し、「ウタ」のつながりも明らかになればこれ以上のことはないと思います。また、来場者の方にとっても聞きなれない分野の発表があることによって、新たな出会いがあることを望みます。真面目なことも書きましたが、それぞれ自分の好きなものについて発表していただけるはずで、それは楽しいものとなるでしょう。
ぜひ、気楽に、楽しむつもりでご来場いただければ幸いです。
開催は、冒頭書きました通り、10月中旬ごろを予定しております。それでは、さらに当日に近づいた頃の詳細なお知らせをお待ちください。
終わりに
というわけで10月の中旬に発表そのものがアバンギャルドな匂いのするシンポジウムが開かれることとなりました。文章のみが文学にあらず、といった体で行われることでしょう。よろしくお願いします。
ゲンブン・ライティング・スクール(夏期連続勉強会)のお知らせ
お久しぶりです。幹事長の佐藤です。
今年もあっつい夏がやってきましたね。げんぶんはこの夏、暑さを吹き飛ばす一つのテーマをめぐる連続勉強会を行います!
それは小説の書き方を書いている本を分析して物語作成法とは一体どういうものかを考えるというものです。そしてなんと、この勉強会には達成目標があります。それは、早稲田文学新人賞を獲ろう!というものです。
今年の早稲田文学新人賞選考員はマイケル・エメリック氏で、その応募要項は「連作短編小説または中編小説」で「四万字程度を上限とする」となっています。長編小説と違って短編小説や中編小説なら一年や半年の歳月もいらない場合が多いので、今回は勉強会と合わせて創作することになりました。
名づけてゲンブン・ライティング・スクール
この勉強会の応募資格は次の通り。
(1)小説を書いたことがある(形式・媒体を問わない)。
(2)批評理論や創作技術に興味がある。
(3)新人賞を獲る自信がある。
(4)新人賞を獲る自信なんてない。
※ただし、全ての勉強会に出席できる必要はなし。
また、次のように進行していきます。レジュメを毎回配ります。
8/19(火) ライティングI 長編のライティング・スタイル紹介
8/22(金) ライティングII 短編のライティング・スタイル紹介
8/25(月) リーディングI 隠喩について
8/30(土) リーディングII 文体について
※8/30については日付を変更する場合があります。
全 4 回でそれぞれ 100 分の勉強会を行います。毎回、配布された短編・中編小説を読んできてもらいます。出せる人は第 3 回目で短編を提出します。第 4 回に全員で講評を行います。詳しいことは後日お知らせします。
また、通常の勉強会と変わらず、途中退出・途中入場できます。ただし、その規定では大学生のみの参加となっていることにご注意ください。
というわけで、多くの方の参加を望んでいます。どれくらい真面目にやるかは下記で参考文献(まだ制作途中)を掲載するのでそれで判断をお願いします。ついでに取り上げる予定の作家もあげておきます。この夏、あなたも短編創作に精を出してみませんか?
〈参考文献〉(随時更新・順不同)※表記形式はWINEに則る。
小説とは何か : 現代小説作法 新訳 / E.M.フォースター [著] ; 米田一彦 訳
小説の構造 / E.ミュア [著] ; 佐伯彰一 訳
小説と詩の文体 / J.M.マリイ [著] ; 両角克夫 訳
小説の技術 / P.ラボック [著] ; 佐伯彰一 訳
小説をどう読むか / E・K・ブラウン [著]
挑発としての文学史 / H.R.ヤウス 著 ; 轡田収 訳
曖昧の七つの型 / ウィリヤム・エンプソン 著 ; 星野徹,武子和幸 訳
文体論序説 / ミカエル・リファテール 著 ; 福井芳男 [ほか]訳
二十世紀小説論 / 福永武彦 著
現代の文学批評 : 理論と実践 / ラマーン・セルデン 著
探偵小説論序説 / 笠井潔 著
書きあぐねている人のための小説入門 / 保坂和志 著
小説の自由 / 保坂和志 著
可能世界・人工知能・物語理論 / マリー=ロール・ライアン 著
シナリオの構成 / 新藤兼人 著
すべては脚本・シナリオから始まる! : 実践指導付き、プロ養成講座 / 香取俊介 著
ドラマ脚本の書き方 : 映像ドラマとオーディオドラマ / 森治美 著
小説作法ABC / 島田雅彦 著
映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと : シド・フィールドの脚本術 / シド・フィールド 著
素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック / シド・フィールド 著 ; 菊池淳子 訳 ; 安藤紘平,加藤正人,小林美也子 監修
文学テクスト入門 / 前田愛 著
超ライトノベル実戦作法 : 売れるライトノベルは書く前に"9割"決まる / バーバラ・アスカ,若桜木虔 著
シナリオ作法入門 : 発想・構成・描写の基礎トレーニング / 新井一 著
アリストテレス『詩学』におけるミュートス概念 / 小川彩子 著
だれでも書けるシナリオ教室 / 岸川真 著
シナリオの書き方 : 映画・TV・コミックからゲームまでの創作実践講座 / 柏田道夫 著
プロになりたい人のための小説作法ハンドブック / 榎本秋 著
盲目と洞察 : 現代批評の修辞学における試論 / ポール・ド・マン 著 ; 宮崎裕助,木内久美子 訳
ミステリを書く!10のステップ / 野崎六助 著
第二の手、または引用の作業 / アントワーヌ・コンパニョン 著
文学言語の探究 : 記述行為論序説 / 石川則夫 著
読むことのアレゴリー : ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語 / ポール・ド・マン 著 ; 土田知則 訳
「物語」のつくり方入門7つのレッスン / 円山夢久 著
小説講座売れる作家の全技術 : デビューだけで満足してはいけない / 大沢在昌 著
新ライトノベルを書きたい人の本 / ライトノベル創作クラブ 編
新しい主人公の作り方 : アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術 / キム・ハドソン 著 ; シカ・マッケンジー 訳
このクラスにテクストはありますか / スタンリー・フィッシュ [著] ; 小林昌夫 訳
批評とは何か : イーグルトン、すべてを語る / テリー・イーグルトン,マシュー・ボーモント 著
物語と時間性の循環・歴史と物語 / ポール・リクール 著 ; 久米博 訳
フィクションとディクション : ジャンル・物語論・文体 / ジェラール・ジュネット 著
ストラクチャーから書く小説再入門 : 個性は「型」にはめればより生きる / K.M.ワイランド 著 ; シカ・マッケンジー 訳
アウトラインから書く小説再入門 : なぜ、自由に書いたら行き詰まるのか? / K.M.ワイランド 著 ; シカ・マッケンジー 訳
フィクションの修辞学 / ウェイン・C・ブース 著
日本小説技術史 / 渡部直己 著
〈取り上げる予定の作家〉(随時更新・順不同)
デニス・ジョンソン
ブライアン・エブンソン
ジョン・チーバー
リチャード・フォード
イル・フォレスト
マーク・レイナー
カート・ヴォネガットJr.
トバイアス・ウルフ
ジュノ・ディアス
バンジャマン・ペレ
7/19読書会「卵」(三島由紀夫)活動報告
今回の読書会について
担当は清水。扱った作品は「卵」。三島由紀夫によるコント。登場人物たちの名前がブ仏教の五戒から取られていて、その意味のままの人物像であるところからもそのコントのノンセンスさが伝わる。非常によくまとまっていて面白い逸品。
担当からの報告
「卵」は三島由紀夫という名を聞いて思い浮かべるような小説群の陰鬱さとはかけ離れた短篇である。「潮騒」とも「金閣寺」とも違う。「卵」はまったくのコントである。五人の学生がやりたい放題暴れまわっていたら卵たちに捕まって裁判にかけられるが、フライパン型の裁判所をひっくり返して卵たちを割り、脱出するというもの。荒唐無稽極まりない作品のように見えるが、三島らしい丁寧なキャラクターの作り方や整然とした物語展開は健在である。その上、「アリス」のようなノンセンス的要素(論理、数など)を的確に描いていることも見てとれる。作者本人が「ノンセンス」と言うだけのことはある。また、三島にとってひとつのテーマであった「戦後」という時代についても、この作品との関連の可能性を見出だせそうではあった(三島自身はただの「ノンセンス」であると言ってはいるが)。
いずれにせよ、三島作品の最たる特徴である「几帳面さ」が十分に読み取れる作品であった。
次回の読書会予定
未定。
第1回現代文学会芥川賞受賞作――横山悠太『吾輩ハ猫ニナル』
第151回芥川賞候補作は次の通りであった。併記されている数字は採点結果である。(15点満点中 採点方式は◎3点、◯2点、△1点、×0点)
戌井昭人「どろにやいと」・・・5点
小林エリカ「マダム・キュリーと朝食を」・・・0点
柴崎友香「春の庭」・・・6点
羽田圭介「メタモルフォシス」・・・4点
横山悠太「吾輩ハ猫ニナル」・・・14点
〈選評〉
・小林エリカ「マダム・キュリーと朝食を」
残念ながら今回は(少なくとも芥川賞候補作品として)小説の域に達していないということになった。不自然な日本語表現や意図が全く不明なエピグラフの数々、そもそも主人公が猫である必然性が全く感じられない低レベルな描写の数々など、技術的に水準に達していないという評価が大半を占めた。さらには小説のプロットについてもかなり厳しい意見が寄せられた。この小説は主人公と思われる猫の母と祖母の三代に渡る放射線との因縁を描いているわけだが、こういった血族の因縁のプロットはガルシア・マルケスの『百年の孤独』やジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの凄まじく短い人生』と共通のものだ。とりわけディアスはトルヒーヨ政権下のドミニカの呪い(「フク」)がいかにして主人公のオスカーに影響していくかを11年かけて調査し、洗練された表現で描いたのに対して、この小説は立ち向かうの問題に対する技術・調査があまりにも乏しかった(わずか5冊の書籍と1つのウェブページを参考にしたことを公表する意図も理解し難い)。さらには、放射線の問題に苦しむ人々に対してかえって不誠実でしかないというかなり厳しい意見も出された。しかし、問題意識自体は震災に立ち向かおうというものなので、次回を期待するという意味をこめて全員一致で無得点とした。
・羽田圭介「メタモルフォシス」
冒頭の描写は非常に魅力的であった。主人公がマゾヒスト的な視線によって社会関係を解体していくのもユーモラスであった。しかし、肝心のグロテスクになるはずの描写が冗長な主人公の独白によって迫力を欠いていたり、そもそも他の箇所のユーモアが全て滑っている(作者が「ここが面白いんだろうな」と書いているのが解ってしまう)ので得点はそれほどつかなかった。
・戌井昭人「どろにやいと」
文句なしの佳作。打者で言うなら2割6分7本塁打ほどの実力。チームに一人は必要な堅実なタイプ。灸を売り歩くという魅力的なガジェットや、折口信夫のマレビトを彷彿とさせる筋書といい非常に手堅い作品であった。しかし、説明的過ぎて(露骨な隠喩表現、「わかるでしょ?」と言わんばかりの展開や文章)読者をナメてる箇所が多々あり、それが作品自体の傷となっていたと思われる。
・柴崎友香「春の庭」
横山悠太がいなければ文句なく受賞作。小説の技術は群を抜いている。植物の名前を小出しすることで季節の移行を省略的に記述しつつも読者に伝えるなど、その技巧は定評通りであった。また、読者に平素の「家」に対する見方を変えてくれるといった、読者の世界観を少し変えるという文学の素朴な営みを思い起こさせてくれる作品であった。ただ、「いつもの柴崎じゃね?」という意見もあった(人称のトリックなど)。
・横山悠太「吾輩ハ猫ニナル」
「誰もが認める神経過敏の一発屋に過ぎないだろう作者が放つ渾身の一作であるが、日本文学はこの作品を迎えたことに惜しみなき賞賛と祝福を与えるべきである」と思わずサークル員が蓮實重彦化するほど絶群の作であった。日本語で書かれた現代文学の突破口は今のところ、唯一ここにしか存在しない。
この小説は幾重もの批評性を備えている。一つずつ解き明かしていこう。
まず小説の設定に注目すべきである。この小説は日本語を学ぶ中国人のためにカタカナ表現や中国人に解りやすい漢字を使ったものであった。ここで意識されているのは「ルビ」の特殊性である。日本語の特殊性の一つとしてルビがよく取り上げられるが、ルビが一体どのような機能を有しているかということをこの中国人のために書かれた小説が日本語話者に教えてくれるのである。
次に、アイデンティティと文体の関係である。物語の進展上、主人公には様々なアイデンティティの問題が突きつけられる。そして、中国語がふんだんに使われているにも関わらず日本人が無理なく読めてしまうという作品の国籍不明な姿がそこに重なる。まさに文体の奇跡である。
言い尽くせないが、これ以上続けると一冊の評論本ができてしまうので後は短く触れたい。まず、夏目漱石の引用について。文章中にはたびたび夏目漱石が引用されるが、文脈上・修辞上・構造上の全てにおいて引用が文章と関係を持っているのはもはや異常と言って良い。他にも、純文学にサブカルチャー的要素を全く不自然なく持ち込んだことや、日中間の関係に全く別のベクトルから迫った政治的試みなどここに書ききれないほどの賞賛があった。
しかし、惜しむらくはこれが現代日本文学の突破口であるが故に、彼自身が必然的に自らに立ち向かわねばならないということである。ただ、「現代文学」を名に冠するサークルとしては横山悠太をこれからも見守っていきたい。
改めて惜しみなき賞賛を捧げる。
〈選考を終えて〉
第151回芥川賞の受賞作は大方の予想通り柴崎友香ではあったものの、やはりサークルとしては横山悠太以外は受賞はありえないということが最後まで強調された。微力ながらここで横山悠太を早稲田大学現代文学会公認作家として応援していきたい。
(文責 幹事長 佐藤)