早稲田大学現代文学会 公式サイト

「更新情報」よりまとまった情報をご覧いただけます。

2018年度新歓活動予定【随時更新】

早稲田キャンパス内に新歓ブースを設置します。

会員が常駐し、活動内容の説明をいたします。ご質問等あればお気軽に!

〈場所〉早稲田キャンパス14号館前

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〈日時〉

4/1(日)9:00~17:00

4/2(月)同上

4/3(火)同上

4/4(水)9:00~16:00

また、上記期間中は部室(学生会館E515)も開けていますのでご自由にいらしてください

 

◎新歓勉強会、読書会を開催します!(予約不要、学外の方・二年生以上も歓迎)

4/3(火)18:15~ @E515

少女、No Future ―― 桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』と成熟

担当者:喜田

 大人になれないと、子供のまま死んでしまうのだろうか。だが、大人になるとは、もはや子供としては死ぬということではないのか。桜庭一樹の小説、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の結末には次のような一節がある。「砂糖でできた弾丸[ロリポップ]では子供は世界と戦えない」。この小説は、成熟、つまり大人になることを問題にしている。ざっと読むならば、この小説は語り手の少女、山田なぎさを中心とした、一種の成長譚である。

 だがそれだけではない。ここでは、ゼロ年代批評とクィア理論、具体的には大塚英志とリー・エーデルマンの議論を参照しながら、桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を読解する。大塚とエーデルマンは、それぞれ、成熟を独特な観点から問題にしている。私が試みたいのは、あまり生産的ではないかもしれないが、両者の議論を手掛かりに、作中で殺された少女、海野藻屑とその非成熟を、なんとかして肯定することである。

※1日より新歓ブース、部室にて、リー・エーデルマン「未来は児童の商品」(『ノー・フューチャー ―― クィア理論と死の欲動』)部分訳を配布しています。

 

4/4(水)18:15~ @E515

ボルヘス読書会

担当者:小林

 全員でホルヘ・ルイス・ボルヘスの『バビロニアのくじ』と『八岐の園』を読んで、考えたことをお互いに話し合う予定です。

 

4/10(火)18:15~ @E515

バーチャルYouTuberを人形メディア論と心の哲学で読み解く

担当者:津川

 ハロー!「バーチャルYouTuber大好き哲学おじさん」の津川だよ!バーチャルYouTuberはこんなに人気になっているのに、評論はまだまだ少なくて世知辛いのじゃ。そして、アカデミックなものにいたっては皆無でふぁっ○ゅー。でぇ、ちょうど「人形とホラー」という「人形をメディア論で論じる講義」があったので、人形メディア論と心の哲学を使って初めてバーチャルYouTuberを論じました。嬉しいです。ここを聖地と呼びたい。ここまで読んで、「こいつぁすげえや!」と思ったあなたも、「こいつぁひでえや!」と思ったあなたも、もし気になってくれたらマイリスト……じゃなくてスケジュールに登録してね。なんてな!

 

4/12(木)18:15~ @E515

エロマンガジェンダー 〜「男性向け/女性向け」を超えて〜

担当者:津川

2004年にマーサ・ヌスバウム(「性的モノ化」の提唱者)が「法の制定ではなく感情の表出による抑圧」を"shame"と問題化し、2011年には「性的な活動や情報に自発的にアクセスする女性への批判」が"slut-shaming"と概念化される流れで、日本でも女性向けエロマンガについての学術書がフェミニズムクィア理論の領域から出版されるようになりました。『欲望のコード』(2009)『女はポルノを読む』(2010)『BL進化論』(2015)……。これらの著作の共通点は、性描写を含むマンガを「男性向け」「女性向け」に分類した上で、(少なくとも女性が読む上では)女性向けエロマンガが優れている、と主張していることです。「ガンガン系などの出現以降、マンガを主な読者の性別で分類するのはナンセンスでは?」とか、「それは本質主義では?」とか、独自に行った男性向けエロマンガ雑誌の各作品の分類もお示ししつつ、小一時間批判する会になると思います。

 

4/16(火)18:15~ @E515

村田沙耶香「コイビト」読書会

担当者:藤原

 村田沙耶香「コイビト」(『授乳』、新潮社、20104)を読んで意見交換をします。意見といっても、本文はこちらで用意し、その場で少しずつ読んでいくので、手ぶらでいらっしゃって構いませんが、文庫本で70ページほどあるのでちょっと長丁場になるかもしれません。

 村田沙耶香作品には、たとえば『消滅世界』における「家族」や、『コンビニ人間』での「普通の人間」のありかたといった「ルール」が頻出します。主人公は、それらが自らの外側からやってきたものであることを強く自覚しているのですが、その際の根拠となる主人公の身体さえ、決して周囲から独立してはいません。硬質さ、あるいはなにかたどたどしい響きをはらんだ、本作のタイトルである「コイビト」という表記は、そういった「ルール」の異物としての側面を強力に打ち出しているように思います。

 少々癖のある作品ですが、ご参加いただければ幸いです。よろしくお願いします!

※読書会について

genbun-e515.hatenablog.com

 

4/19(木)14:45〜 @E515

ウェルベック勉強会

担当:片岡

 

日程未定

ハイナー・ミュラー『カルテット』読書会

担当者:紺野

 この読書会では戯曲を読みます。作品として成立しているのかすら不明とされてきた分野ですが、鑑賞の対象として流通するものがある以上看過するにせよ身振りを伴わなねばなりません。せめて開き直れるように、戯曲を読むという行為への皆さんの意見を聞いてみたいです。

 ハイナー・ミュラーはドイツ及び東ドイツの劇作家、演出家で、演劇史ではブレヒトの後継者とされています。彼らは平均化と扇情の装置としての物語や劇的なものに対する反省あるいは反動であるアンチドラマの立場をとっています。

 読書会ではこの戯曲を手がかりに皆さんと議論をし、出来たら上演と劇や死滅すべき劇的構造の中でいかに振る舞うかについて現代思想を思い出しながら考えてみようと思います。戯曲は30pほどでその場で配布し、読んでもらう形式です。お気軽にお越しください。まぁまぁ異形の戯曲で面白いので今回来なくてもいつか読んでみて下さい。

 

5月上旬予定

再帰的近代としての新感覚派

担当者:片倉

※日時・詳細後日