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早稲田大学現代文学会公式サイト(部室は学生会館E515)

カテゴリにある「更新情報」の頁を参考にするとまとまった情報が手に入ります。

2015年度後期新歓についてのお知らせ

こんにちは。幹事長の片岡です。

現代文学会では4月だけでなく後期にも会員による新歓勉強会・読書会を毎週行います。下記の日程で、場所は学生会館の E515(部室)で行います。参加は事前連絡不要ですので、ご自由に!  勉強会後には、軽い食事会があるかもしれませ ん。 

 

新歓活動日程

10月 13 日(火) 14:45-16:30

読書会「ボルヘス「八岐の園」」(五十嵐)

現代文学会では短編作品を中心として読書会を不定期で行っています。現代文学会の読書会と他の文芸サークルの大きな違いはそのゲーム的な形式性にあります。どんな感想を言っても必ずうまく話が連続するように整えられたこの読書会というゲームに参加するだけで、1人では決して得ることのできない読書体験を得ることができます。本を面白く読むということがどういうことかを感じたい方はぜひ私たちと一緒に読書会をしてみませんか? ちなみにこの取り上げる作品は非常に短いので読んでこなくともその場で配布もします。お気軽にいらっしゃってください。

今回扱うのはボルヘス「八岐の園」鼓直訳『伝奇集』(岩波文庫)所収)です。ラテンアメリカ文学の代表的作家の一人(魔術的リアリズムではないらしい)ボルヘスの作品です。第一次大戦中を舞台にしたミステリ仕立ての物語がいくらか形而上に滑り入りながら20pに凝集されています。コピーも何部かは用意しますが、『伝奇集』は手元に置いておいて損のない本だと思います。本屋の岩波文の赤のコーナーの一番端っこの方を探せば大体あります。 


10月 17 日(土) 16:30-18:00

バルザックの『人間喜劇』における『哲学的研究』について」(平良) 

バルザックは、主に18世紀末に生まれ、19世紀半ばまで活動していたフランスの作家です。その人物像は、常に借金取りに追い立てられていたとか、大変な大食らいであったとか、様々に伝えられていますが、ともかく多くの作品を残しました。
バルザックは、自身の作品群を「人間喜劇」と呼び、時には登場人物を再登場させたりして、一つの大きな体系を作りました。
そしてその「人間喜劇」は、バルザックによれば3つのカテゴリーに分割されます。すなわち、「風俗研究」、「哲学的研究」、「分析的研究」です。
今回の勉強会では「哲学的研究」にフォーカスを当て、バルザックが探究した「哲学」とは何を指していたのかということを、(「哲学的探究」の一作品である)『セラフィタ』を主に取り上げて論じます。
ちなみに勉強会で言及する作品については当日あらすじを説明するので、特に前知識は必要ないです。
それでは、よろしくお願いします。

  

11月 2日(月) 16:30-18:00

「肝臓は文字の上で慄へるか ――文学におけるリアリティ――」(片倉)

文学においてリアリティが軽視できない要素であることは、今更繰り返すまでもあるまい。だがしかし、それではリアリティとは何の謂いなのか。それは必ずしも自明ではない。例えばリアリティの不足を意味する「人間が描けていない」という言葉の意味について共通了解を取ることの困難を思えばそれは決して突飛な意見ではなかろう。

「人間が描けていない」、或いは「真実味がない」といった批判は、(決してそれに限定されるわけではないが、少なくとも)明治大正の日本近代文学における常套句といっても差し支えなかろう。では、批判者らがそこでいう真実味や人間、換言すればリアリティとは如何様なものであろうか。それは必ずしも判然としない。抽象的な言辞を弄するにもかかわらず、彼らはそれを詳論することはしないのである。一見すると厳然たる基準に裏打ちされたかに見えるこれらのクリシェは、それゆえむしろ甚だ場当たり的なものに他ならなかった。文芸批評の場においてこのような言葉を振り回し曖昧な「リアリティ」を求めた当時の大家には、リアリティを巡る体系的な文学論が欠けていたのである。

1920年代に興隆したプロレタリア文学、そして新感覚派は、作品を評価する確固とした理念を有しているという点で紛れもなく上に述べたような既存の文学とは一線を画したものであった。今回はそのうち後者、新感覚派を主に取り上げる。

話の中心となるのは、プロレタリア文学と勢力を二分した新感覚派、就中その棟梁格であった誰あろう横光利一である。プロレタリア文学に対抗して独自の文学論の建設を目指し世に謂う形式主義文学論争で「形式とは文字の羅列である」なる有名な発言をした横光は、文芸作品の価値を、つまりはリアリティを単なる印象ではなく作品の構成要素である文字に遡って考えた点で疑う余地なく体系的な文学論を構想していた一人といえよう。尤も、残念ながらそれは横光一流の言葉遣いのため必ずしも正当に評価されてきたわけではない。横光の思考を見直すことを通じて、一筋縄では理解しにくい概念であるリアリティとの一つの向き合い方を披露出来れば幸いである。


 他にもあるかも……続報を待て!