Libreri22号「I WOULD PREFER NOT TO」について 報告その2
みなさんご機嫌いかがですか?
予想以上に際どい原稿がたくさん集まって編集委員もわくわくして参りました。いよいよ原稿タイトルがすべて出揃ったので、文学フリマ当日に向けて掲載作品内容を紹介していきたいと思います。
・ABOUT BARTLEBY : レポート
通常の英語では用いられない表現である‘I would prefer not to’という言葉を思想界に流行させた19世紀短編小説の傑作の一つであるBartleby, the scrivener: A story of the Bartleby(「代書人バートルビー ―ウォール街の物語」)に関する紹介記事。あらすじはもちろん、その成立過程や登場人物たちと作者メルヴィルの周囲との相応関係に言及する記事を紹介し、アメリカとフランスにおける簡単なバートルビー研究史をまとめる。これさえ読めば「代書人バートルビー」がもっと好きになります!
・I AM GUNDAM : エッセイ
「こんなエッセイできれば書きたくなかったのですが」(“I would prefer not to write such an essay”)と冒頭に走り書きされた精神分析家ジャック・ラカン×ガンダム00のアニメ批評風エッセイ。主人公刹那が作中口走る「俺がガンダムだ」という台詞にラカンによるキルケゴール分析をオーバーラップさせることで導き出される「別の形の愛」について述べる。筆者曰く、「ガンダム00を見た我々は既に神の愛の何たるかを知っているのだ」。
・NO FUTURE——WHY IS THERE NO FUTURE RATHER THAN NOTHING? :書簡対談
Lee Edelman. No future : Queer Theory and the Death Driveを読んだ男からそれを薦めた人物への手紙と、その応答。その応答では、クィア・セオリーやクィア・スタディーズと呼ばれるある学問領域の混迷とした状況に戸惑いつつ言説が整理されていく。ジェンダー・スタディーズやクィアに興味がある人は必見! また、ペシミスティックに綴られた二人の「未来のなさ」への対決も注目。
・LA MUSIQUE SAVANTE MANQUE À NOTRE DÉSIR :エッセイ
フォーク・ジャンボリー、そこには淡い青春があった。金はあるが毎朝を起きる時に何をすればいいのか分からない無気力で人を遠ざけがちな「僕」は数少ない友人の牧野からフォーク・ジャンボリーなるフォーク・ミュージックのイベントがあることを知らされる。そこで出会った広恵と「僕」は――。ゼロ年代的文体で1969-71年に3回行われたフォーク・ジャンボリーの伝説を回想する真実の偽史に青春は存在するのか? その目で確かめろ!
・FOOTPRINTS : 小説
さる動物園にいる象、はな子。はな子に魅入られた「私」は日に日にはな子の妄想が行き過ぎるようになり、仕事をやめ、妻との関係が悪化していく。そんな時に「私」が決意したこととは……? 大正期文学を思わせる文体で綴られる一人の狂気が濡れきった死を艶やかに染め上げる。
・KILL, DEATH, ASSIST : エッセイ
「FPSにおける生死は全て数字の問題に回収される。殺せば数字になるし、殺されても数字になる」。筆者のFPSプレイで体験した四つのエピソードを収録。キャンパー狩り、グリッチャー討伐、ただキルレシオだけが上昇していく掃討戦。そして、すべてのFPS的行為を透徹な目線で貫く渇ききった文章がFPSの真実を暴き出す。本当の「ファントムバレット」を知りたければこれを読め!
いかがでしょうか?1つでもビビっときたものがあれば、ぜひ文学フリマ2F会場のブース:キ-18でお会いしましょう!