早稲田大学現代文学会公式サイト(部室は学生会館E515)

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2017年度 新歓について兼勉強会計画

幹事長の紺野です。

現代文学会では半期を目処に月に一、二度のペースで勉強会を行い、初回をイントロダクションとして新歓に充てています。

現在開催が決まっている勉強会は安部公房勉強会、坂口安吾勉強会、バカSF勉強会、モダニズム勉強会、精神分析勉強会、『世にも奇妙な話』と『テレビ』の関係勉強会、カルト映画勉強会、カタルシス勉強会の八つです。何が現代文学だよ的な指摘は心に閉まって下さい。以下、現時点で集まっている勉強会についての紹介です。

 

カタルシス勉強会:「虚構とカタルシス--なぜ「たかがフィクション」に一喜一憂するのか」。 4/4@E521

担当:喜田

「この物語はフィクションである…」。皆さんは、このように始まる但し書きを、目にしたことはありませんか? これが示すところは明快に思えます。そう、現実とフィクションを混同されては困る、というものです。ところで、1933年にも、そんな風に、「紙上の夢と現実の出来事」を混同されては困る、というエッセイを新聞に発表した作家がいました。作家の名前は江戸川乱歩、題名は「探偵小説と瀉泄[ルビ:カタルシス]」…。この勉強会では、「カタルシス」という言葉の意味をたどりながら、現実とフィクションの関わり、フィクションの働きについて考えてみたいと思います。よろしくお願いします!

 

精神分析入門 ──何のための精神分析か──4/14 6限@E515
担当:片岡
精神分析、あるいはフロイトという言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。多くの人は歴史の教 科書の中で目にしたという程度でしょうが、心理療法に興味のある人は、古く用いられていたが今で は廃れてしまった過去の精神療法だ、と言うかもしれません。ましてやフロイトの後継者のラカンに 関しては、名前も知らないという人が多いでしょうし、知っていたとしても現代思想の論客と思って いる人がほとんどでしょう。そのような状況の中で、現代の日本で精神分析を、それもラカン的精神 分析を実践するというお話しをすると目を丸くする人も多いかもしれません。精神分析が衰退した (と言われている)理由としては、現在は薬物療法認知行動療法などの発展によって、精神分析よ り安価かつスピーディに症状を治癒させることができるようになったという状況があります。いまや、 一回の面接に 5000 円から 1 万円も必要とし、週数回の面接を 10 年近くも続ける精神分析など不要に なった、と大勢の人が主張しています。しかしこれらの療法と精神分析を直接に比較することはでき ません。というのも、精神分析が目指すものとこれらの療法が目指すものは根本的に異なっているか らです。これらの療法が症状を「治す」ことを目的としているのに対して、精神分析は症状が治癒す るかどうかは二次的な問題とします。それでは、精神分析の一番の目的とは何か、つまり何のために 精神分析はあるのか――この勉強会では、そのことを皆さんにお伝えしたいと思います。

 

SF読書会 4/15 4限@E515

担当:藤原

「バカSF」と聞いて思い浮かぶものはありますか?私にとってのそれは、巨匠フレドリック・ウィリアム・ブラウンでした。初めて私が触れたSF「宇宙をぼくの手の上に」(中村保男訳/創元推理文庫/1969)、この…宇宙人はミッキーマウスを生み出し、石鹸が大いに売りさばかれ、不真面目な星が空をめぐる…すばらしい発想の海に沈むユーモアを共に楽しむ仲間をお待ちしております。
COME AND GO MAD.

(会では上記短編集の他「天使と宇宙船」等ブラウンの作品を読む予定です。新歓後は「バカSF」を切り口に他作者も読んでいきますのでどうぞよしなに)

 

極論エッセイストかつ娯楽小説家としての坂口安吾4/20 6限@E515

担当:津川
 みなさんは坂口安吾と聞いてなにを思いうかべるでしょうか? 高校で教わる文学史には「無頼派」のひとりとして紹介されています。また、多くの教科書に「文学のふるさと」が掲載されています。いずれも、文学研究者のメシの種でしかないような印象をあたえるかもしれません。
 結論から申し上げると、坂口安吾のエッセイは現代人が読んでも刺激的ですし、小説は現代人が読んでも娯楽小説として楽しめます。
 たとえば「日本文化私観」は、必要に応じて猿真似することや、歴史的遺物を取り壊すことも含めて、日本文化だと主張しています。また、『明治開花 安吾捕物帳』は2011年に『UN-GO』という名前でアニメ化されました。
 もちろん、アカデミズムの観点から解釈しがいのある作品も多いです。適宜、先行研究や私の解釈も紹介します。
 初回は、先ほどあげた「文学のふるさと」を取り上げます。こちらでコピーを用意し、その場で読む時間をもうけるので、前提知識なしでも大歓迎です。

 

モダニズム勉強会 4/21 6限@E515

担当:片倉
現在、作品の価値を評価するのに、「新しさ」が基準の一つとなることは少なくない。いやむしろ、そうでない場合の方が稀である。およそ、「新しさ」は誰にとっても疑いえない、普遍的な価値基準となっている、と断言しても語弊あるまい。
しかし、それは決して普遍的な尺度ではない。ある特殊な歴史的価値基準を、我々がそう見なしているだけのことである。
では、そのような地盤はいつ、いかにして形成されたのか。そして、どのように現在まで引き継がれてきたのか。それを問題とするのが、この勉強会の主眼である。
具体的には、その歴史的起源は19世紀(フランス)文学に求められる。従ってこの問題は、この時代に隆盛を極めた科学や、また逆に退潮を迎えた宗教ともクロスオーバーすることであろう。というよりも正確には、上述のような環境の中で初めて生まれたのが、「新しさ」をめぐる問題なのである。
そして次に、この問題の日本的展開を検討する。即ち、いわゆる「モダニズム」である。
日本モダニズムをどの角度から見ていくか、多岐に渡る問題の全てを見ていくことは不可能なので、それは参加者と相談して取捨選択したい。現時点で想定している切り口の一例を挙げれば、アヴァンギャルド、SF、映画、心理学(心霊学)、革命、などがある。作家としては谷崎潤一郎佐藤春夫川端康成横光利一その他。
前提知識があれば理解は容易だが、当然ながらその知識を身につけてもらうのも勉強会の目的の一つである。約言すれば、初学者も歓迎である。概要の一部にでも心惹かれた方は、覗いて頂ければ幸いである。

 

カルト映画勉強会:燃え盛るキリン4/25 6限@E515
担当:熊谷
70年代半ば、ベトナム帰りのタクシードライバーが、血に濡れた指でピストルの形を作った頃 を境に、ニューシネマは終焉を迎えた。以来一転して、アメリカには「ロッキー」や「スターウォー ズ」など、健全な娯楽作品が蔓延するようになっていく。 この時代の転換は、ニューシネマの源流となったベトナム戦争終結に要因を求められるが、 一方で映画史は、この転換において重要な役割を果たした燃え盛るキリンを片隅に追いやってい た。 数年前、二十年来の沈黙を経て、再び姿を現したこの醜怪な幻獣は、再び観客を熱病に犯し、 今度は映画史までをも蝕もうとしている。 勉強会では、この燃え盛るキリンの生態を観察するとともに、その行動パターンについての解 説、ひいては歴史への影響を考える。

 

安部公房勉強会 4/29 5限@E515
担当:紺野
友達同士が挨拶時に笑うのはその場にいない第三者を仮定して連帯感、つまり共犯意識を深めることの表明だそうです。情けない話ですが、安部公房の愛読者は集まるといつもニヤニヤしています。この時期の新入生は諸々不安で仕方がないと思います。安部公房を読み、さしあたり陳腐な連帯感を育みましょう。勿論、しっかり誰かを笑った後には自嘲と虚無感がやって来ます。話はそこからです。
初期の作品を半期に渡って読もうと思います。具体的には失踪三部作と呼ばれる『砂の女』、『他人の顔』、『燃えつきた地図』と、『箱男』です。今のところ主に作品内の弁証法の帰結やシュルレアリスムのオブジェの使われ方に焦点を当てて考えていくつもりです。
初回は短編の『なわ』を勉強会中に読んでもらって感想等を伺い、何かお話できたらと考えています。
のんびりとした怖くない会を予定かつ希望しておりますので是非気楽にお越しください。少なくとも『なわ』はこちらで用意しています。
鋭敏な方、常に居心地の悪いはぐれ気味の方は特にお待ちしております。

 

以上です。皆さんのご参加をお待ちしております。