早稲田大学現代文学会 公式サイト

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2015年度前期新歓勉強会について

こんにちは。幹事長の片岡です。新歓ブースにお越し頂いた方にも同じ内容の書かれた紙を配布しますが、お時間などとれない方のために今後の新歓活動の日程と詳しい内容を記しておきました。お気になったところにぜひお越し下さい。

まず前提として、会員による新歓勉強会・読書会が毎週行われます。下記の日程で、学生会館の E515(部室)で14:45〜18:00に行います。参加は事前連絡不要ですので、ご自由に!  勉強会後には、軽い食事会があるかもしれませ ん。 また、4月27日(月)18:30からは、新歓コンパが開催されます。新歓コンパについての詳細は、新歓メールリストや Twitter、 このブログにて後日告知されます。

 

新歓活動日程

4 月 6 日(月)「シュルレアリスム入門──それって文学?」(佐藤)

シュルレアリスムが何なのかを知らなくとも、『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』や『ナジャ』といった本を知っている人がいるかもしれません。シュルレアリスムとは、その二冊の本を書いたアンドレ・ブルトンという人を中心にして始められた文学運動です。ところで、このシュルレアリスムという文学運動は本邦では長らく誤解されてきました。それは、例えばシュルレアリスム絵画展が開かれるばかりにシュルレアリスムは絵画の運動のものであると思うとか、澁澤龍彦巌谷國士の本を読んだためにある種のアングラなサブカルのような印象を受けるといったものです。しかし、1980年代以降フランスでもシュルレアリスム研究は大きく進み、その成果に接した本大学教授である鈴木雅雄によってこの10年間で日本でのシュルレアリスム研究も格段の進歩を遂げ、このようなものの多くが思い込みにすぎないことが知られるようになってきました。この発表では、その研究の一端を噛み砕いて説明することで、シュルレアリスムの面白さを伝えたいと思います。そして、文学に関心のある方に、今までとはかけ離れた文学像を知ることで新たな文学との付き合い方をお見せできればと思っています。

 

4 月 11 日(土)「政治哲学入門──英米倫理思想事始」(平良) 

「人を助けるのに理由が必要か」──近年よく論じられることの多いこのようなありふれた問いに対して、あなたならどのように答えるだろうか。
 例えば、川で溺れている人がいたとしよう。ある人は、その人を助けるのに理由なんていらない、なぜならそんなことはよく考えればわかる常識だから、と答えるかもしれない。そして一方では、何かしらの見返りを心の内に期待して救助をする人もいるかもしれない。
 多くの英米圏の思想家たちは、このような倫理的(道徳的)な問いと長く格闘してきた。上記のものをはじめとして、様々な倫理的立場は彼らによって類型を与えられ、そして発展・進化してきたのである。
 この勉強会では、時代の新しい倫理理論を開拓していった思想家たちを紹介しつつ、主に英米圏の倫理思想の潮流を概説することを目的としている。時間の関係上、もしも説明を省きすぎた部分があれば、質問等に応じて適宜補足もするつもりである。
 勉強会を通じて、自分が抱く道徳的立場がどのように思想史の中で生み出され、また後の時代では乗り越えられるべき課題として考えられてきたのかを自覚してもらうことが目標である。

  

4 月 14 日(火)「精神分析入門──何のための精神分析か」(片岡)

精神分析、あるいはフロイトという言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。多くの人は歴史の授業や教科書の中で目にしたという程度でしょうが、心理療法に興味のある人は、古く用いられていたが今では廃れてしまった過去の精神療法だ、と言うかもしれません。ましてやフロイトの後継者のラカンに関しては、名前も知らないという人が多いでしょうし、知っていたとしても現代思想の論客と思っている人がほとんどでしょう。そのような状況の中で、現代の日本で精神分析を、それもラカン精神分析を実践するというお話しをすると目を丸くする人も多いかもしれません。精神分析が衰退した(と言われている)理由としては、現在は薬物療法認知行動療法などの発展によって、精神分析より安価かつスピーディに症状を治癒させることができるようになったという状況があります。いまや、一回の面接に5000円から1万円も必要とし、週数回の面接を10年近くも続ける精神分析など不要になった、と思う人も多いことでしょう。しかしこれらの療法と精神分析を直接に比較することはできません。というのも、精神分析が目指すものとこれらの療法が目指すものは根本的に異なっているからです。これらの療法が症状を「治す」ことを目的としているのに対して、精神分析は症状が治癒するかどうかは二次的な問題とします。それでは、精神分析の一番の目的とは何か、つまり何のために精神分析はあるのか──この勉強会では、そのことを皆さんにお伝えしたいと思います。

 

 4 月 16日(木)「小説創作入門──ゲンブン・ライティング・スクール・リブート」(佐藤)

昨年の8月下旬から4回に渡って「ゲンブン・ライティング・スクール」と題し第25回早稲田文学新人賞投稿を目指して勉強会を行ってきました。結局のところ応募するところまで行き着いたのは本勉強会を開催した私1名でしたが、その作品は無事に一次予選を通過することができました。そこで、前回の勉強会のレジュメをみなさんに配布し、勉強会では何を行ったのかを振り返りながら、実際の創作に際して考えられる諸問題を改めて取り上げます。そして、「小説を書くことについて考えること」とは一体どういうことなのかを実作に興味のあるみなさんと考えたいと思います。これから小説を書こうとしている方やこれまで書いてきた人、あるいはすでに単行本を出している方も、ぜひお越しください。

 

4 月 18 日(土)読書会「円城塔『捧ぐ緑』を読む」(佐藤)

現代文学会では短編作品を中心として読書会を不定期で行っています。現代文学会の読書会と他の文芸サークルの大きな違いはそのゲーム的な形式性にあります。どんな感想を言っても必ずうまく話が連続するように整えられたこの読書会というゲームに参加するだけで、1人では決して得ることのできない読書体験を得ることができます。本を面白く読むということがどういうことかを感じたい方はぜひ私たちと一緒に読書会をしてみませんか? ちなみにこの取り上げる作品は非常に短いので読んでこなくともその場で配布もします。お気軽にいらっしゃってください。
(取り扱う作品の書誌情報は以下のとおり。円城塔『バナナ剥きには最適の日々』、ハヤカワ文庫、2014年、pp.119 - 137

 

 4 月 21 日(火)「ロゴセラピー入門──人生の意味を扱う心理学」(赤木)

皆さんは充実した毎日を送っているでしょうか?もしそうであるならそれでいいのですが、そうでない方もいるかもしれません。大学生になって途端に増えた時間をどう使えばいいか分からない、受験で落ちたとか失恋とかで絶望した気分である人もいるかもしれません。そうした人たちは自分を生き生きとさせてくれるような価値や意味を見いだせない状態にあると思います。今回私が紹介するロゴセラピーというのは、そうした私たちにとってもっとも日常的な問題、すなわち人生における意味の問題を中心にすえた心理学の理論です。この理論は別名で実存分析とも呼ばれ、フランクルによって創始されました。フランクルは「夜と霧」という本で第二次世界大戦での強制収容所での体験を描いたことでも世界的に有名であり、知っている人もいるのではないでしょうか。学問的にはフランクルはマックスシェーラーなどの実存哲学、フロイトに始まる深層心理学から大きく影響を受けており、実存分析はその20世紀前半の二大思想の一つの到達点ともいえます。今回の勉強会ではそのフランクルの簡単な紹介、ロゴセラピーの他学派への位置づけ、またその理論における主要な概念を説明します。

 

 4 月 22 日(水)「小川洋子入門──二皿のあいまいな料理から」(五十嵐)

現代文学会のOBの一人に、小説家の小川洋子さんがいます。彼女の作品は、代表作とされる『博士の愛した数式』をはじめ独特の魅力を持って、日本のみならず、翻訳されて欧米の人々にも多く読まれています(フランスで映画化された作品もあります)。しかし、それにも関わらず、彼女の作品のあの独特さを的を射て分析した事例は未だ少ないように思われます。「何を言う、分析など興ざめだ。そのわからなさこそ小川洋子作品の魅力。」と言う方もいらっしゃるかもしれません。そしてそれはある部分的な意味では当たってもいます。一冊の本を手に取った時、それをどう読むかは読者の自由です。ですが、思考停止は避けるべきではないでしょうか。この読者会では、小川洋子作品の全体的な傾向を提案し、そこから具体的に大切な要素である「食事」、ひいては「料理」へと狭めて行くことでそれを確認して行く、というふうにして小川洋子の作品を能動的に「読む」作業を行っていきたいと思います(※多少変わる場合があります)。際して特に準備は必要ありませんが、小川洋子作品
に少しでも触れて来ていただけるとより理解が深まるのではないかと思います。勉強会では『妊娠カレンダー』、『お料理教室』(短編集『まぶた』所収)、『人質の朗読会』第五夜の「コンソメスープ名人」あたりを取り扱う予定です。

 

4 月 25 日(土)「なぜ人間関係は存在しないのか──レオ・ベルサーニと後期ラカン」(片岡、喜田)

私たちの身の回りは人間関係で溢れています。町を歩けば無数の人に出会いますし、食事ひとつするにも店員に交渉しなければなりません。また現在はツイッターなどを初めとしたSNSの発展によって、私たちは恋人から見知らぬ人まで、絶えず様々な人たちとコミュニケーションを取り続けています。そうですから、「人間関係は存在しない」などと言っても意味不明だと思われるでしょう。しかし、そもそも人間関係とは何でしょうか。例えばレストランの店員とは、ある利益関係(客は食事をし、店員は労働から賃金を得る)に基づく契約よって結びついているだけで、真の人間関係とは言えないと人は思うでしょう。しかしそうであればカップルにおいても、彼らは恋愛という一定の利益関係に基づく契約に基づいているだけだとは言えないでしょうか。一見もっとも充溢した人間関係と思われる恋人関係ですが、それすら本当に成立していると言えるのでしょうか──。

かつて精神分析家のジャック・ラカンは、以上のような事態を「性関係なるものはない」という一言によって捉えようとしました。またクィア理論家のレオ・ベルサーニは「自己破砕的で独我論的な享楽」や「非人称的ナルシシズム」などを論じて、個々の異なった人格を互いに尊重する関係性こそが平和で望ましい、といった通念を問い直す思想を展開しています。両者とも、いわゆる通常思われているような「人間関係」なるものに対する挑戦が見て取れます。この対談ではラカン精神分析を専門とする片岡と、ベルサーニの理論を参照しながら日本文学研究を行う喜田が、両者の思想をベースとして、さまざまな分野について語りつくそうというものです。君はそれでも人間関係があることを証明できるか!?

 

 

※「精神分析入門──何のための精神分析か」、「ロゴセラピー入門──人生の意味を扱う心理学」、「なぜ人間関係は存在しないのか──レオ・ベルサーニと後期ラカン」は戸山フロイト研究会合同勉強会となっています。戸山フロイト研究会について訊ねたいことがあればtwitterアカウント@freudtoyamaをご覧になってリプライを飛ばしてください。