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早稲田大学現代文学会公式サイト(部室は学生会館E515)

カテゴリにある「更新情報」の頁を参考にするとまとまった情報が手に入ります。

新歓活動日程の詳細!

こんにちは。幹事長の佐藤です。新歓ブースにお越し頂いた方にも同じ内容の書かれた紙を配布しますが、お時間などとれない方のために今後の新歓活動の日程と詳しい内容を記しておきました。お気になったところにぜひお越し下さい。

まず前提として、会員による新歓勉強会・読書会が毎週3回行われます。下記の日程で、水・金曜日は学生会館の W505で14:45〜18:00日曜日は13:00〜16:1 5(場所は事前通知)に行います。参加は事前連絡不要ですので、ご自由に!  勉強会後には、軽い食事会があるかもしれませ ん。 また、4月22日(火)18:30からは、新歓コンパが開催されます。新歓コンパについての詳細は、新歓メールリストや Twitter、 このブログにて後日告知されます。

 

新歓活動日程

4 月 6 日(日)円城塔「捧ぐ緑」(佐藤) ←お花見読書会!

 円城塔は不思議な作家です。よくある円城塔についての表現は「よくわからないけど面白い」というものです。確かに、彼の作品は掴み所のないものが多いように思われます。しかし本当にそうなのでしょうか。私たちは何かをよくわからないと言うとき、大雑把に何かを切り捨てていないでしょうか。例えば、ある円城塔のある一文に何の引っかかりも覚えない人もいれば、それがとても重要だと思う人、場合によってはその作品の中で一番好きなフレーズであるということがありえます。現代文学会の読書会では参加者一人一人の素朴な感想や複雑な読解を総合していくことで少しずつ作品の読み方をいくつか導いていきます。僕は個人的に『Self-reference Engine』が一番好きなのですが、今回は最近文庫になった『バナナ剥きに最適な日々』からゾウリムシと恋愛を絡み合わせた小品を取り上げます。よくわからない円城塔をもっとよくわかってみたい人、ぜひこの読書会にご参加ください。ちなみに、桜の季節ですので、埼玉県の与野公園でお花見をしながら読書会をしようと考えています。詳細はこちら

 

4 月 9 日(水)「シュルレアリスムを知っていますか?」(佐藤)

みなさん、シュルレアリスムという言葉を知っていますか? ダリの『溶ける時間』だとか、マグリットの色んな絵とかを絵画に詳しい人なら知っているかもしれません。ですが、はっきりと言います、それは半分正しい連想で、あとの半分は完全に誤解です。それは確かにシュルレアリスムと呼ばれますが、シュルレアリスムとはそもそも絵画の運動ではないのです。 

 あるいは、早稲田大学に入学する人で文芸サークルに興味を示している人ならば、「あれでしょ、シュルレアリスム宣言から始まった文学運動で、オートマティスムに従って書くってやつだよね。「溶ける魚」が代表作でしょ、あれ、意味解らないけれど」と思われるかもしれません。しかし、それもちょっと誤解です。まず、シュルレアリスム的な文章創作を行ったのはシュルレアリスム宣言よりも前です(もっと言えば「シュルレアリスム宣言」とは「溶ける魚」の自作解題として書かれたのです)。そして、「溶ける魚」のような長い散文が初めから書かれていたのではなくて、韻文、つまりは詩が最初に書かれたのです。しかもその詩は2人によって書かれたのです。 

 ところで、オートマティスムという言葉は一見して何かの技法のように思われるかもしれません。思いつくままにだらだらと書いていくというのをやってみたことがある人が中にはいるかもしれません。ですが、おそらくあなたは、その程度のことでシュルレアリスムらしい文章を書けることはないでしょう。それはなぜか。そのことはここ20年の研究によって次第に明らかになりつつあります。その研究の内容についても今回触れたいと思います。 

 このように、シュルレアリスムという言葉を知っている人でさえシュルレアリスムについてよく解っていないことが多いです。さらに、そもそもシュルレアリスムという言葉自体、このグループの生みの親であるアンドレ・ブルトンが作り出した言葉ではありません。では、一体シュルレアリスムとは何なのでしょうか。 

 この勉強会では、(1)シュルレアリスムについての間違った常識を提示して正しい知識を紹介し、(2)シュルレアリスム運動の特徴を論じ、(3)シュルレアリスムの影響を紹介していきたいと思います。

 

 

4 月 11 日(金)「ファリック・ガールの動力学」(片岡)

斎藤環は2000年に上梓された『戦闘美尐女の精神分析』で「ファリック・ガール」という概念を提唱しました。ファリック・ガールとは何でしょうか。ハリウッド映画などに登場する一般的な「戦闘する女性」が、戦うべきトラウマを抱えているのに対して、オタク系文化に登場する「戦闘する美尐女」はトラウマを、すなわち戦うべきリアリティを欠いている。逆にいえば、なぜ理由もなく彼女たちは戦うのか、というテーマを探究していった結果、J.D.ナシオ『ヒステリー』などを参照して、斎藤はこの概念を作り上げました。同書は、後に東浩紀らが中心となってゼロ年代に展開したサブカルチャー批評の嚆矢ともされる重要な文献です。しかしながら、「ファリック・ガールは視覚空間で反転されたヒステリーである」という結論の複雑性ゆえか、同書はあまり参照されておらず、まだまだ可能性は秘められていると思います。そこで今回の勉強会では、ナシオの前掲書を詳しく読みながら、「反転したヒステリー」とは何なのかを検討し、ファリック・ガールについて改めて探究してみたいと思います。ファリック・ガールが「反転したヒステリー」である以上、それは単なる戦闘美尐女に限定されません。そしてそ れは伊藤剛が提唱したキャラ/キャラクター概念ともマッチすると考えられます。一緒に考えてみましょう。

 

 4 月 13 日(日)「声優文化史への招待」(中田)

「日本ほど『声優』という職業がもてはやされる国はない」。こうも換言できる。「日本はきわめて特殊な『声優文 化』を持っている国である」と。「声優」とは一体何なのか。すごく端的に言ってしまえば、「声の俳優」である。だ が事態はそれほど単純な問題はない。「『声優』とはなんであるか」と問われれば、おそらく多くの人は、商業アニメ や映画でキャラクターの声を吹き替える、華やかな仕事現場をイメージするかもしれない。一方で、オタク的なもの を想像する人もいるだろう。それはそれで正解だが、必ずしも正鵠を射ているというわけでもない。近年、「声優」 といえば、どんどんセグメント化が進み、歌手に舞台にテレビにと、マルチタレントとして活躍する「声優」も尐な くない。それを嘆く人間もいれば、尐しでも声優の地位向上になれば......と応援をする人間もいる。だがそれははた して「声優業」の域を出るものなのか出ないものなのか、活躍の場が細分化すればするほど、「声優」という仕事は ますます曖昧模糊としたものになってしまう。「声優としては」という枕詞がつけば何でも珍しがるこの社会におい て、「声優は何なのか」はっきりさせるためにまず声優の歴史をたどり、造詣を深めることをまず第一としよう。「声」 を巧みに利用する伝統芸能ならば、枚挙にいとまがないが、身体性を伴わず「声」という一芸のみにて成立するもの はとなると、必然的に限定されてくる。「『映画』の誕生」という大きなエポックがあり、「声の芸能」がそれにまさ におあつらえむきだったという事実があるならば、ちょうどいいのでそこを「声優文化史」の源とする。

まず日本に映画技術が流入した際に「映画解説者」として〈活動写真弁士〉という特殊な仕事が生まれた、という ことに端を発して、初期日本映画史に寄り添う形で活弁士がどう活躍し、どう衰退していったかを述べていく。それ にあたり、実際の活弁映像をみてもらう。VTRの後、弁士の人気に応じて客足が変わったという事象を鑑みて、「弁 士人気」(アテ師人気)に現代の「偶像(アイドル)崇拝」の萌芽がみられるかどうかなども考察する。その後、外 国語映画の登場において映画に声をアテるいわゆる「アテ師」としての声優がいたことを説明、その後どのようにし て日本における「テレビ映画」が隆盛したのかを説明するために、一旦トピックを変え、米国においていかにテレビ が爆発的に普及し、テレビ番組が人気者になったか、映画史のイロハとなる用語を交えつつ述べる。五社協定によっ て外国産テレビ映画が日本に輸入される経緯をたどり、吹替映画黄金期の夜明けともなった初期テレビ吹替事情につ いて述べる。

次に、時代とともにメジャー映画の吹き替えも行われるようになった際に生まれた、日本独自の「超訳」について 説明。その一例として吹替映画黄金期のひとりである広川太一郎氏が主役を演じた「超訳映画」を鑑賞し、外国語を 日本語に吹き替えることの難しさを示しながら、「日本語吹替」ではなく、いかにして「日本語版」映画をつくるか の職人たちの努力を紹介。

次に、声優(アテ師)という仕事がもはや60年以上というひとつのサイクルを完遂し、映画も次世代へと向かいつ つあること、それに伴って、過去の遺産を残すべくどのような試みがなされているかを説明。

「声優はなんであり、何であったのか」を再考し、マルチタレントを発揮することにおいて必要な矜持が現在の声 優にあるか、ということを考える。

 

4 月 16 日(水)「精神分析すること?」(仁田)

精神分析における唯一の技法、それは自由連想法と呼ばれる技法です。フロイトによる技法に関する論文は、おもにこの自由連想のなかで生じてくる「抵抗」を扱っています。抵抗とは何なのか、どのように抵抗は現れるのか、そ して、いかにして分析家は抵抗に対処するべきなのか...といったことが中心的なテーマとなっているのです。いまや 精神分析以外の精神療法、心理療法でも用いられるようになっている「転移」という概念は、この文脈のなかで「最 強の抵抗」として語られました。ところで、フロイトは一時期こういった考え方をしていたようですが、後の世代に よる転移の捉え方はそれぞれの学派、心理療法で異なり、重要な論点となっています。

フランスの精神分析家であるジャック・ラカンは、そのセミネールのなかでフロイト技法論を徹底的に読み直し、 抵抗や転移、想起といった概念を検討しました。本勉強会では、フロイトによる技法に関する諸論文やラカンのセミ ネール1巻「フロイト技法論」、その他のラカンの講義やテキストを基軸として臨床例をたどり、精神分析の基本 的な概念を解説します。転移などの概念の捉え方を整理することで、ラカン精神分析と対象関係論との差異を明確 にすることができると考えるからです。また精神分析の実践が目指すものは何なのかを提示することで、認知行動療 法との差異を明らかにすることも目的としています。なぜ精神分析において理論が必要なのか、なぜサンボリックと いう視点が必要なのかということも話したいと思います。

一年生向けの勉強会であり、また発表者自身も初学者であるため、あまりヘビーな内容にはしないつもりです。治 療としての精神分析は緩慢な死を迎えつつあるとか、ラカンは理論としては面白いけど、情動を無視するからだめだ とかいう意見にも反論し、いまなぜラカン精神分析である必要があるのかも述べます。

 

 4 月 18 日(金)「転回せよ、360 度!――日常生活からの精神分析入門」(片岡)

精神分析という名前は誰でも聞いたことがあると思いますが、しかしその実像が膾炙しているかと言われれば、な んともぼっさり具合であるというもの。そこでこの勉強会では戸山フロイト研究会と現代文学会が合同で、日常生活 で出会うちょっとした疑問や謎、青春の悩み、笑い話、コンテンツの紹介・分析を通して、精神分析のことを新入生 の皆さんに知ってもらうことを目的とします。

精神分析、とくにラカンは、療法というよりもむしろ現代思想の領域でドゥルーズデリダと比較などして語られ ることが多いのですが、精神分析があくまで心理療法を志向していたことは忘れてはなりません。 ではどのように治 療が行われるのか。ふつう私たちが抱くイメージは患者が自分の悩みを告白して、医師がそれに対してアドバイスな いし正しい道を提示するというものです。しかし分析のセッションはそのようには進みません。患者は自分のことを 語ります。しかし分析家はその言葉のある個所を強調したり、短い問いを発するばかりで、アドバイスも答えも何も 喋ろうとしないのです。なんだそれは? 一緒に考えていきましょう。

いろいろと映像も見ます。例を挙げておくと、クローネンバーグ監督『危険なメソッド』、ベネックス監督『青い 夢の女』、Mr.Children「掌」「フェイク」「HANABI」、アニメ『チャージマン研』、庵野秀明監督『彼氏彼女の事情』など。

 

 4 月 20 日(日)「樋口一葉作『十三夜』を読む」(平良)

樋口一葉(1872~1897)は、夭逝するまでにいくつかの小説を著した。一葉の小説には、主に社会の中で 生きる人間(特に女性)の悲哀を描いたものが多い。『にごりえ』などはその典型であろう。今回取り上げる作品『十 三夜』もまた、内容面ではそうした典型の一つであると言うことができるだろう。 明治28年に発表されたこの作品は、乱暴に要約すれば、婚家から酷い仕打ちを受けて実家に帰ってきた女性阿関が 実家の家族に説得され、渋々ながら元の境遇(婚家の女)に戻る話である。

社会的状況からこの作品を論じるならば、一葉が執筆活動をしていた当時は、まだ平塚らいてう与謝野晶子らが 登場しない時代であり、それはつまり女性の社会進出が活発ではない時代だった。そのような時代のひとつの様相を、 この作品は表していると言うこともできるだろう。

だが、今回私が発表する勉強会においては、そうした内容面や小説の外の社会的状況に重きを置かない読解をする つもりである。

この作品には、他作品とは一線を画すような興味深い仕組みが内包されているように思われる。その仕掛けについ ては、内田百”間”(便宜上文字を改めた)の小説『旅順入城式』に収録された作品『坂』を関連付けて考察する。 (ところで作家同士の関連で言えば、百間の師にあたる夏目漱石と一葉は同時代人であり、なんらかの接点を提示す ることができるのかもしれないがあるのかもしれないが、今回はそのような人間関係を深く掘り下げることはせず に、百間の作品にみられる特徴にこそ注目する。余裕があれば、そのような作品外の人間関係にも言及するかもしれ ない。)

また勉強会では、『十三夜』の中にあるそうした仕組みが、作品の内容とどのように関係しているのかということ も論じるつもりである。(より具体的に言えば、『十三夜』で、主人公の阿関が婚家に戻る決心をすることは、作品内 の文体から推測されうるくらいに、この作品の内容と文体とは、密接に関わっているのだということを論じるつもり である。) 以上のように、今回の勉強会で私が発表する予定の大まかな内容を述べてきた。勉強会の主な目的は、あくまで『十 三夜』という作品の読解であるが、理想としてはひとつの作品の読解にとどまらない内容の勉強会をするつもりであ る。

ちなみに、聞き手の理解を助けるために、一応レジュメに、参照する作品を添付するつもりであるが、できれば各 自事前に『十三夜』を読んできてもらえると、より一層理解が深まるように思う。

 

4 月 23 日(水)「ジャン=リュック・ナンシーに触れる」(松山)

ジャン=リュック・ナンシーという哲学者をご存じでしょうか。デリダドゥルーズらとも活躍をともにした、フ ランスポストモダン思想最後の生きた証人といっても過言ではない彼は七十歳を越えた今も筆を休めることがあり ません。そして今回この勉強会で特に注目するのはつい先日(2014年3月11日)刊行されたナンシーの著書“La communauté désavouée”(『否認された共同体』) です。ナンシーはモーリス・ブランショ“La communauté inavouable”(『明かしえぬ共同体』)への応答として“La communauté désœuvrée”「無為の共同体」を発表して以降 たびたび共同体の問いについて言及してきましたが、今回の著作はその最近のものとなります。ナンシーがこの著作 でいかなる思想について語っているのか、原書をもとにひも解いていきましょう。

今回の勉強会ではフランス語のテクストを参考文献としますが、新歓勉強会ということもあって特に事前の準備は 要求せず、発表者がレジュメを用いて日本語のみでも十分理解のできるよう解説をしていきます。ジャン=リュック・ ナンシーの著作全体についても簡単な解説を行う予定ですので、多くの新入生の参加を希望しています。

ナンシーについての文献としては、これまで邦訳は多くあるものの日本語で読めるものが少なかった(澤田直『ジャ ン=リュック・ナンシー 分有のためのエチュード』、白水社、2013 がある程度)でしたが、柿並良佑さんによる「存 在論は政治的か?」(『思想』、2014 年 2 号)、「恐怖への誕生」(『思想』2013 年 1 号)などナンシーについての明快 にして詳細な論文が発表され、その思想についてもアクセスしやすくなりつつあります。この勉強会を機に興味を持 たれた方はぜひご一読ください。 

 

4 月 25 日(金)川上弘美「蛇を踏む」(清水)

 

現代日本文学を代表する作家のひとりであると言ってもいいであろうほどの知名度を誇る川上弘美。多くの人が、 数多くの作品を必ずしも読んでいないまでも、何かの折に触れていることがあると思います。『センセイの鞄』が谷 崎潤一郎賞を受賞したり、ドラマ化されたり、かなりの注目を集めたことも彼女の人気・実力を示すものでしょう。 今回はそんな川上弘美芥川賞を受賞した作品「蛇を踏む」を取り扱います。蛇を踏んでしまったと思ったら、その 蛇が人の言葉をしゃべり始め、今度は人の姿になって歩き出す――。こんな奇妙な語り手の女性の体験からスタート し、その蛇は彼女の家に住み着くようになります。そんな蛇との生活に満更でもない様子の彼女。ところが、彼女の 周囲にも蛇が家に住み着いている人間がいることが発覚します。蛇との離別を覚悟する彼女と蛇が、クライマックス では縺れ合いながら水に流されていきます。こんな風にあらすじを紹介しただけでは一体何を言っているのか分らな いだろうと思われるくらい不思議な作品ではあります。しかし、例えばそこに登場する蛇や人間関係を整理してみれ ばこの小説の新たな側面が見えるかもしれないし、細かな文章表現にこだわって見てみれば更にまた別の姿として 我々の前に現れるかもしれない。このように様々な視点から考察を加える議論が出来ればと思います。当然、高等な 議論が必ずしも交わされなければならないということは全くなく、「この場面が印象的」であるとか「この台詞がな んか意味深」、「この文章が不思議」などの感想レベルでも構いません。むしろ、そういった些細なことこそ小説を読 むにあたって重要なことだからです。ですので、気軽に、フラッと、なんとなく、読書会に参加していただければ幸 いに思います。一緒に、楽しく、小説を読んでみましょう! 

 

※「ファリックガールの動力学」、「精神分析すること?」、「転回せよ、360 度!――日常生活からの精神分析入門」は戸山フロイト研究会合同勉強会となっています。戸山フロイト研究会について訊ねたいことがあればtwitterアカウント@freudtoyamaをご覧になってリプライを飛ばしてください。