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書評連載企画第1回 小山田浩子「穴」(第150回芥川賞受賞作)

 小山田浩子の小説は相変わらず不穏だった。第150回芥川賞受賞作である「穴」は夫 の転勤のために会社をやめ、田舎にある夫の実家の隣に住むこととなった「私」の日常の 話だ。働く必要がなくなり家事くらいしかすることがなく、退屈な日々を過ごしていた「私」 はとても暑いある夏の日に姑に使いを頼まれコンビニへ向かう。その中途で正体不明の黒 い獣を見かけ、それを追って川岸の草むらを進み、穴に落ちる。その後、家の裏にある物 置に二十年住んでいるという「私」の義兄を名乗る男と出会い......。

 穴に落ちるということは『不思議の国のアリス』でアリスが兎を追って落ちてしまい異 世界へ入り込むことを連想させる(実際作中で義兄がそのように言及する)。しかし、「私」 が落ちた穴は黒い獣が掘って作ったものなので、胸のあたりまでの高さであって、頭のて っぺんまですっぽり入ってしまう高さではない。なので、視界が壁面に遮られて現実世界 を見失ってしまう、ということは起こらない。では、穴に落ちることによって何が起こる のか。単純な現象として百数十センチからの視点から地表近くからの視点まで位置が下が る。そのことにより、行われる描写は、コメツキムシの跳躍、蟻たちの隊列、草や川の匂 い......。ここに、小山田浩子の、感覚に即した記述の巧みさが現れる。「私」が穴に落ちる ことで生まれる視点のズレを、「私」が穴から抜けだした後も、引きずりながら読者は読み 進める。そうすると、明らかにおかしな黒い獣や、物置に二十年住んでいる義兄はともか くとして、今まで無視できていたような日常の中の、携帯をいじり続ける夫や雨の日にも 外に出て水を撒き続ける義祖父、コンビニでたむろする子どもたちといった些細に存在だ と感じられる人々が不穏に立ち上がってくる印象を受ける。また、「私」が穴に落ちる以前 /以後で現実/非現実が明確に区分されているのではなく、最初からすでにおかしな、不 穏な世界の中に「私」がいたことに気付かされるのだ。しかし、気になるのは最後の一行 でオチをつけようとした感じ、灰色を作ろうとして白と黒を混ぜていい具合にできていた ところに最後に黒を加えすぎてしまったような......。非現実に寄り過ぎることによって読 者は、こういう展開ね、と安心してしまうだろうから、今までのトーンのまま終わらせて 危うさを持続させるべきだったのではないか。

 「私」が落ちた穴を後で確認しに川岸に行くと子どもたちに穴はたくさんあることを教 えられて、「私」が落ちた穴は特別なものではないことがわかる。私たちの日常にはいたる ところに穴がある。それは現実/非現実を峻別するものではなく、むしろ曖昧にしていき、 取りまく人々への認識を不穏なものにしていく。私たちがちょっとしたきっかけで周囲が 違って見えた時、穴の存在を思い出すだろう。 (大向江)