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第3回シンポジウム「ものみなウタではじまる?」報告

こんにちは。第3回シンポジウム「ものみなウタではじまる?」は盛況のうちに終わりました。おこしになったみなさま、ありがとうございました。

また、以下に各発表の要旨を記載しますのでどうぞご笑覧ください。

 

◯喜田「たくまざる誘い——異種混淆性、石原慎太郎、ウタ」

石原慎太郎のそもそもアンソロジーである和漢朗詠集をさらにアンソロジーにするという滑稽な振る舞いをその滑稽さを意識せず行っているかのように行われることを論じた。滑稽さを意識していると思われないのは『新和漢朗詠集――現代に息づく日本人の鼓動』の「鼓動」に「ビート」というルビが振られていることにある。日本人の伝統文化の紹介をするにも関わらずあえて英語をする理由が同著を読んでも理解できないし、そもそも解説で紹介されている抜粋の数と実際の抜粋の数がズレているなど本としてのクオリティにも問題がある。これを次のような考察を挟むことで分析した。まず、異化作用とピーター・ブルックの言う茶化し(mokery)を参照にし、mokeryがカルチュラル・スタディーズでも注目されていることを示しつつ、そこにある均質性への批判の定型がもはや批判的効果が失効していることを示した。次に、均質性批判はある二項対立(独自性/均質性など)を一つの価値基準に回収させてしまう弱点があるが、それは石原慎太郎の「拙さ」によって別の分析の仕方がありえるのではないのかと示した。

 
◯佐藤「誰も詩を読まないーー井坂洋子について」
井坂洋子の詩集は『朝礼』(1979)と『地に落ちれば済む』(1991)の間に描写の対象が生(若さ)から死(老い)へと移って行ったとして論じる元来主調だった批評に対して、テマティスム的読解によってそもそも井坂洋子は水と肉体を換喩的に接続していくスタイルが根本にあり、切断することと孤独を描いていることが問題であると新たな解釈を示した(また、20世紀以後にそういう読解が可能になった詩の批評史にも簡単に触れた)。さらには、日本では「文学といえば?」という問いに対してほとんどの場合において詩人の名前が挙らないことを先行研究の少なさや参加者への問いかけを通じて示した。最後に日本では「文学」はいつから詩が消えたのか、そもそも詩は存在したのか、しえなかったとすれば一体われわれが今読んでいる詩と呼ばれるものは一体なんなのかなどといった研究テーマが残っていると示唆した。
 
◯片岡「正しく=よく聴かなければならないーー日本フォークのコンサート」
アメリカのフォークソングはとりわけカレッジ・フォークという形で日本に受容された。最初期のフォークソングは「立教大学といった小洒落た大学生」が弾くものであり、元来の意味付けを失ったまま登場したのだ。しかし、「我らの歌」(Folk Song)としてのフォークソングは関西の高石友也が自らフォークソングを翻訳して独自のものとしようとする運動を通じてしだいにその語本来の在り方になっていった。フォークソングはその当時、演奏者と観客の区別のなさが顕在化していた。つまり、観客は演奏者に対して「我らの歌」を求めることが当たり前だったのだ。実際、例えば岡林信康の初期の曲にある労働者の現実を歌った曲がフォークソングにおいて価値のあるものとされていた。その後、第3回フォーク・ジャンボリーの観客の暴徒化、朝6時までの討論会という失敗によってフォークブームは一端沈静化した。ここで画期となったのは70代以降フォークの完全なる商業主義化に伴う吉田拓郎の台頭である。彼はかぐや姫との共同コンサート「吉田拓郎かぐや姫 コンサートインつま恋」によって数万人規模の動員を成功させた。このコンサートはオールナイトというジャンボリー的歴史を引き継いでおり、ニューミュージック中心史観において軽んじられているが、フォーク史においてはその過去を再演しつつ別の形で表せたものとして評価すべきであると論じた。
 
◯山田「遊ぶ言葉ーーMCバトルという文化」
MCバトルというフリースタイルラップにおけるバトルの形式を紹介し、日本におけるMCバトル史を簡単に紹介した。次に、真代屋秀晃『韻が織り成す召喚魔法』と森田季節『ウタカイ』を紹介しながら言葉遊びの文化史をホイジンガやカイヨワを使って紹介し、その系譜に二冊のテーマを位置づけた。その後、そういった言葉遊びの本質には「パラドクス」という要素があることをロザリー・L・コリー、ウィリアウム・ウィルフォード、エウヘニオ・ドールスなどを用いて示し、遊び文化におけるパラドクスの重要性を解説した。また、ある遊びの中に出現する絶対的な秩序や遊びに見られる様々なパラドクスが取り上げた二冊に現れていることを示した。最後にはそういった遊びとパラドクスこそが革命的なものへと至る道筋を照らすとしてヒップホップ文化と革命が本来深くつながっていることを論じた。 
 
以上です。
第4回もお楽しみに。

Libreri22号「I WOULD PREFER NOT TO」について 報告その1

幹事長の佐藤です。今回は文学フリマ当日まで少しずつ情報を公開していきたいと思います。

さっそくですが、体裁が変わりました。大きさは今までA5判サイズでしたが、今回はB5判サイズです。また、いわゆるくるみ製本ではなく、LIFENEW YORK TIMESといった雑誌のような形になります。

また、すでに掲載されることとなった作品・論考のタイトルだけここに公開しておこうと思います。どれが論考でどれがエッセイ・小説・詩かぜひ予想してみてください!

・KILL, DEATH, ASSIST

・FOOTPRINTS

・NO FUTURE——WHY IS THERE NO FUTURE RATHER THAN NOTHING?

・ABOUT BARTLEBY

・I AM GUNDAM

・LA MUSIQUE SAVANTE MANQUE À NOTRE DÉSIR

 

それでは報告その2をお楽しみに!

続報!第3回シンポジウム「ものみなウタではじまる?」開催のお知らせ(後期新歓活動)

こんにちは。

この度、以前告知させていただいたシンポジウム「ものみなウタではじまる?」の詳細な日程が決定しましたのでお知らせいたします。
本シンポジウムは、詳細は以前の記事を読んでいただければと思いますが、簡単に言うと何名かの現代文学会員が「ウタ」にちなんだ発表を行うというものです。
各自自らの専門というよりは「好きな」分野での発表となると思いますので、お気軽にご参加いただけると思います。
当日は以下のように進行いたします。

10月18日(土) 会場:学生会館W503


15:00〜15:40 喜田(M1)「たくまざる誘い——異種混淆性、石原慎太郎、ウタ」
15:40〜16:20 佐藤(B3)「誰も詩を読まないーー井坂洋子について」
16:20〜16:30 休憩
16:30〜17:10 片岡(B2)「正しく=よく聴かなければならないーー日本フォークのコンサート」
17:10〜17:50 山田(M1)「遊ぶ言葉ーーMCバトルという文化」
17:50〜18:10 休憩
18:10〜 質疑応答

以上の通りです。
それでは、各発表の概要について紹介します。

・喜田(M1)「たくまざる誘い——異種混淆性、石原慎太郎、ウタ」
この発表では石原慎太郎とウタの関わりについて、様々な仕方で触れていきます。とりわけ昭和48(1973)年5月に刊行された石原の『新和漢朗詠集』に注目します。
この本の副題「現代に息づく日本人の鼓動[ルビ:ビート]」は示唆的です。というのも、日本の伝統文化なるものの称揚が、それをなし崩すもの——いわば「現代のビート」——と併存ないし混淆しているように見えるからです。この発表では、そうした事態に着目したいと思います。


・佐藤(B3)「誰も詩を読まないーー井坂洋子について」
昨今の日本の文学事情では三角みずき、最果タヒ、暁方ミセイといった詩人なしに恐らく詩の詩の字もない。彼女たちのスタイルの系譜を遡れば伊藤比呂美などいるのだろうが、あえて同時代の井坂洋子を選ぶのはなぜか。それはまず、彼女が伊藤とは違って『現代詩手帳』といった商業誌に投稿せずデビューした特殊な事情ゆえであり、二つ目にスキャンダラスなスタイルをとった伊藤とは全く別の方向にいたためであり、三つ目に彼女は同じテーマを反復し続けることが魅力となっているからである。この発表では詩の読解の仕方の歴史すなわち批評史に簡単に触れながら井坂洋子の換喩の体系を読み解く。最後に余力があればこの国における詩という文学形式について一考を投じる。

・片岡(B2)「正しく=よく聴かなければならないーー日本フォークのコンサート」
日本フォークの歴史を、60年代後半から70年代に行われた大規模コンサートの観点から紹介します。日本において、若者がギター一本で奏でるようなフォーク・ミュージックは、一つ娯楽としてのポピュラー・ミュージックであるだけでなく、あるいはそれ以上に、一つのムーブメント、あるいはアンガージュマンであることが期待されていました。そしてフォークのコンサートも、音楽を聴く場である以上に、一つのイベントとして求められていました。その事についてお話ししたいと思います。

・山田(M1)「遊ぶ言葉ーーMCバトルという文化」
HIPHOPという音楽ジャンルの一要素としてある「MCバトル」(フリースタイル・ラップ)の紹介を行います。そしてその紹介をしながら、「MCバトル」が深く何と繋がっている文化なのか、そしてそれがどのように拡散されているのか、という点に着目し、一つの文化(これはMCバトルに限らず)を見る視点として「遊び」というものを提示してみたいと思います。MCバトルないしフリースタイル・ラップが「ただの言葉遊びに過ぎない」と言われるのは、むしろポジティブな事態なのではないでしょうか?


それでは当日はよろしくお願いします。

第3回シンポジウム「ものみなウタではじまる?」開催のお知らせ(後期新歓活動)

シンポジウム開催のお知らせ

早稲田大学現代文学会恒例のシンポジウムが今年も開催されます。今までをまず振り返ると第1回では「十文字青『ぷりるん。~特殊相対性幸福論序説~』」と題して『ぷりるん。』をめぐるさまざまな発表を行い、第2回では「劇場版魔法少女まどか☆マギカ」と題してアニメについて物語読解からアニメ解釈まで様々な観点が与えられ、そして第3回がこの度行われる運びとなりました。題して「ものみなウタではじまる?」です。また、これは後期新歓活動の一つとして開催されますので早稲田大学現代文学会の様子を知りたい方はぜひおいでください。

シンポジウムの紹介

シンポジウムのタイトルは「ものみなウタではじまる?」となっております。これは花田清輝の戯曲「ものみな歌でおわる」(1963年)にちなんでいます。 

花田清輝と言えば「アヴァンギャルド芸術」などの旗印のもと、文学に限らず様々なメディア、ジャンルを越えて、というよりはそれらの複合を思考していた人物ですが、彼が「かぶき」の誕生に関しての考察を戯曲化したものがこれです。 
ということで、今回のシンポジウムでは様々なウタ(歌、詩、唱…)、そしてまたそれらに関する事象(ウタを題材にした小説、絵画、映画…)などを取り上げてみたいと思います。 今回シンポジウムでは、現時点で、日本のフォークについて、井坂洋子について、石原慎太郎について、HIPHOPについてなどの発表が行われる予定となっています。
それぞれ自らの本来の専門ではない領域での発表もあり、またそれぞれ異なる分野での発表をこのシンポジウムという場でともに行うことで、思いがけない出会いが発生し、「ウタ」のつながりも明らかになればこれ以上のことはないと思います。また、来場者の方にとっても聞きなれない分野の発表があることによって、新たな出会いがあることを望みます。真面目なことも書きましたが、それぞれ自分の好きなものについて発表していただけるはずで、それは楽しいものとなるでしょう。
ぜひ、気楽に、楽しむつもりでご来場いただければ幸いです。
開催は、冒頭書きました通り、10月中旬ごろを予定しております。それでは、さらに当日に近づいた頃の詳細なお知らせをお待ちください。

終わりに

というわけで10月の中旬に発表そのものがアバンギャルドな匂いのするシンポジウムが開かれることとなりました。文章のみが文学にあらず、といった体で行われることでしょう。よろしくお願いします。

第十九回文学フリマ参加決定のお知らせ(雑誌内容も先行リリース)

現代文学会、第十九回文学フリマ参加決定!!!!

例年通り今年も参加が文学フリマへの参加が決定しました。よろしくお願いします。また、なんと、雑誌特集内容も前号からは大きく変わりました。

今年の特集は……

I WOULD PREFER NOT TO (訳:できればしたくないのですが)

そう、あのメルヴィルの短編「バートルビー」で有名になったフレーズです。ですが、内容はメルヴィル特集というわけでも、バートルビー特集というわけでもありません。一体どんな内容になるのでしょうか。編集部員によると、どうやら冊子の体裁も大きく変わるとのこと。追加情報を乞うご期待。

 

ゲンブン・ライティング・スクール(夏期連続勉強会)のお知らせ

お久しぶりです。幹事長の佐藤です。

今年もあっつい夏がやってきましたね。げんぶんはこの夏、暑さを吹き飛ばす一つのテーマをめぐる連続勉強会を行います!

それは小説の書き方を書いている本を分析して物語作成法とは一体どういうものかを考えるというものです。そしてなんと、この勉強会には達成目標があります。それは、早稲田文学新人賞を獲ろう!というものです。

今年の早稲田文学新人賞選考員はマイケル・エメリック氏で、その応募要項は「連作短編小説または中編小説」で「四万字程度を上限とする」となっています。長編小説と違って短編小説や中編小説なら一年や半年の歳月もいらない場合が多いので、今回は勉強会と合わせて創作することになりました。

名づけてゲンブン・ライティング・スクール

この勉強会の応募資格は次の通り。

(1)小説を書いたことがある(形式・媒体を問わない)。

(2)批評理論や創作技術に興味がある。

(3)新人賞を獲る自信がある。

(4)新人賞を獲る自信なんてない。 

※ただし、全ての勉強会に出席できる必要はなし。

 

また、次のように進行していきます。レジュメを毎回配ります。

8/19(火) ライティングI 長編のライティング・スタイル紹介
8/22(金) ライティングII 短編のライティング・スタイル紹介
8/25(月) リーディングI 隠喩について
8/30(土) リーディングII  文体について

※8/30については日付を変更する場合があります。

全 4 回でそれぞれ 100 分の勉強会を行います。毎回、配布された短編・中編小説を読んできてもらいます。出せる人は第 3 回目で短編を提出します。第 4 回に全員で講評を行います。詳しいことは後日お知らせします。

また、通常の勉強会と変わらず、途中退出・途中入場できます。ただし、その規定では大学生のみの参加となっていることにご注意ください。

というわけで、多くの方の参加を望んでいます。どれくらい真面目にやるかは下記で参考文献(まだ制作途中)を掲載するのでそれで判断をお願いします。ついでに取り上げる予定の作家もあげておきます。この夏、あなたも短編創作に精を出してみませんか?

 

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〈参考文献〉(随時更新・順不同)※表記形式はWINEに則る。

小説とは何か : 現代小説作法 新訳 / E.M.フォースター [著] ; 米田一彦 訳

小説の構造 / E.ミュア [著] ; 佐伯彰一

小説と詩の文体 / J.M.マリイ [著] ; 両角克夫

小説の技術 / P.ラボック [著] ; 佐伯彰一

小説をどう読むか / E・K・ブラウン [著]

挑発としての文学史 / H.R.ヤウス 著 ; 轡田収 訳

曖昧の七つの型 / ウィリヤム・エンプソン 著 ; 星野徹,武子和幸 訳

文体論序説 / ミカエル・リファテール 著 ; 福井芳男 [ほか]訳

二十世紀小説論 / 福永武彦

現代の文学批評 : 理論と実践 / ラマーン・セルデン 著

探偵小説論序説 / 笠井潔

書きあぐねている人のための小説入門 / 保坂和志

小説の自由 / 保坂和志

可能世界・人工知能・物語理論 / マリー=ロール・ライアン 著

シナリオの構成 / 新藤兼人

ライトノベルを書きたい人の本 / 榎本秋

すべては脚本・シナリオから始まる! : 実践指導付き、プロ養成講座 / 香取俊介 著

ドラマ脚本の書き方 : 映像ドラマとオーディオドラマ / 森治美 著

小説作法ABC / 島田雅彦

映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと : シド・フィールドの脚本術 / シド・フィールド 著

 素晴らしい映画を書くためにあなたに必要なワークブック / シド・フィールド 著 ; 菊池淳子 訳 ; 安藤紘平,加藤正人,小林美也子 監修

文学テクスト入門 / 前田愛

ライトノベル実戦作法 : 売れるライトノベルは書く前に"9割"決まる / バーバラ・アスカ,若桜木虔

シナリオ作法入門 : 発想・構成・描写の基礎トレーニング / 新井一 著

アリストテレス詩学』におけるミュートス概念 / 小川彩子 著

だれでも書けるシナリオ教室 / 岸川真

シナリオの書き方 : 映画・TV・コミックからゲームまでの創作実践講座 / 柏田道夫 著

プロになりたい人のための小説作法ハンドブック / 榎本秋

盲目と洞察 : 現代批評の修辞学における試論 / ポール・ド・マン 著 ; 宮崎裕助,木内久美子 訳

ミステリを書く!10のステップ / 野崎六助

第二の手、または引用の作業 / アントワーヌ・コンパニョン 著

文学言語の探究 : 記述行為論序説 / 石川則夫 著

読むことのアレゴリー : ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語 / ポール・ド・マン 著 ; 土田知則 訳

「物語」のつくり方入門7つのレッスン / 円山夢久

小説講座売れる作家の全技術 : デビューだけで満足してはいけない / 大沢在昌

ライトノベルを書きたい人の本 / ライトノベル創作クラブ 編

新しい主人公の作り方 : アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術 / キム・ハドソン 著 ; シカ・マッケンジー 訳

このクラスにテクストはありますか / スタンリー・フィッシュ [著] ; 小林昌夫 訳

批評とは何か : イーグルトン、すべてを語る / テリー・イーグルトン,マシュー・ボーモント 著

物語と時間性の循環・歴史と物語 / ポール・リクール 著 ; 久米博 訳

フィクションとディクション : ジャンル・物語論・文体 / ジェラール・ジュネット 著

ストラクチャーから書く小説再入門 : 個性は「型」にはめればより生きる / K.M.ワイランド 著 ; シカ・マッケンジー 訳

アウトラインから書く小説再入門 : なぜ、自由に書いたら行き詰まるのか? / K.M.ワイランド 著 ; シカ・マッケンジー 訳

 フィクションの修辞学 / ウェイン・C・ブース 著

日本小説技術史 / 渡部直己

 

〈取り上げる予定の作家〉(随時更新・順不同)

アリス・マンロー

デニス・ジョンソン

ブライアン・エブンソン

ジョン・チーバー

ジョン・アップダイク

リチャード・フォード

イル・フォレスト

マーク・レイナー

リチャード・ブローティガン

カート・ヴォネガットJr.

ドナルド・バーセルミ

トバイアス・ウルフ

ジュノ・ディアス

エドガー・アラン・ポー

ドストエフスキー

フィッツジェラルド

バンジャマン・ペレ

コルタサル

横光利一

太宰治

川端康成

樋口一葉

二葉亭四迷

夏目漱石

久生十蘭

安部公房

三島由紀夫

向田邦子

星新一

村上春樹

村上龍

吉田修一

松浦理英子

川上弘美

円城塔

 

 

 

 

 

 

 

7/19読書会「卵」(三島由紀夫)活動報告

今回の読書会について

担当は清水。扱った作品は「卵」。三島由紀夫によるコント。登場人物たちの名前がブ仏教の五戒から取られていて、その意味のままの人物像であるところからもそのコントのノンセンスさが伝わる。非常によくまとまっていて面白い逸品。

担当からの報告 

「卵」は三島由紀夫という名を聞いて思い浮かべるような小説群の陰鬱さとはかけ離れた短篇である。「潮騒」とも「金閣寺」とも違う。「卵」はまったくのコントである。五人の学生がやりたい放題暴れまわっていたら卵たちに捕まって裁判にかけられるが、フライパン型の裁判所をひっくり返して卵たちを割り、脱出するというもの。荒唐無稽極まりない作品のように見えるが、三島らしい丁寧なキャラクターの作り方や整然とした物語展開は健在である。その上、「アリス」のようなノンセンス的要素(論理、数など)を的確に描いていることも見てとれる。作者本人が「ノンセンス」と言うだけのことはある。また、三島にとってひとつのテーマであった「戦後」という時代についても、この作品との関連の可能性を見出だせそうではあった(三島自身はただの「ノンセンス」であると言ってはいるが)。
いずれにせよ、三島作品の最たる特徴である「几帳面さ」が十分に読み取れる作品であった。

次回の読書会予定

未定。